いよいよバレンタインデーが近づいてきた。授業中も生徒達には落ち着きがなく、数学の授業では零一がイライラしているのを隠そうともせずに進めているような有様だ。そして、ここにも1人ため息を隠せない人物がいた。
「……ハァ……。」
憂鬱(ゆううつ)そうに眉(まゆ)をしかめ、頬杖(ほおづえ)まで着いてため息を吐(つ)いているのは瑞希である。和奏はいつになく元気のないその姿を見て目を丸くすると、すぐに声を掛けた。
「どうしたの、瑞希ちゃま?ため息なんて珍しいね。」
「如月さん。」
物憂げに和奏を見遣(みや)るとそのままの姿勢で瑞希は問いかけた。
「偉大な芸術家って、最高にかわいい女の子が近くに居ても気が付かないものなのかしら……。」
その言葉に今日に限って深くは考えずに、和奏は思ったことを口に出した。
「どうだろう……そんなことないんじゃないかな?」
「ちょっと、どういう意味!?」
途端に立ち上がって目をつり上げる瑞希の様子に、今更ながら和奏ははたと思い当たった。
(い、偉大な芸術家って、もしかして…?)
「それじゃ、ミズキが一番じゃないって言うの!?」
「え……えっと?」
気付いたところでもう後の祭りだ。和奏がしどろもどろになって視線を彷徨(さまよ)わせている間に、瑞希は気落ちしたのか元の姿勢に戻ってしまった。
「ハァ……もういい。今日はミズキをひとりにして……。A bientôt -じゃあね- ……。」
そういうと全ての物音を遮断するかのように目を閉じて、またため息を吐(つ)いた。和奏はやれやれと肩を竦(すく)めると、しばらくそっとしておこうと側を離れた。
それから二、三日の間、瑞希は昼休みにいつもの場所に姿を見せなかった。わざとではなかったにしろ、不用意な言葉で少なからず傷つけてしまったことは確かだろう。和奏だからこそ漏らした問いかけだったかもしれないのに。
「仕方ないか…。瑞希ちゃまのことだもん、すぐに立ち直るよね。」
事が色に関することなのだから、余計瑞希自身がどうにかするより他ないのだ。ちょっと落ち込み気味な自分にそう言い聞かせながら帰り支度をしていると、数日ぶりに当の瑞希が和奏の側までやってきた。
「Salut -ハーイ-!如月さん。」
「…あ、瑞希ちゃま。」
「偶然ね。ミズキも今帰りなの。途中までご一緒してあげてよ?」
この二、三日のことなどなかったかのような笑顔である。和奏は内心苦笑しながらも、深く追求することはせずに素直に頷(うなず)いた。
「うん、一緒に帰ろう。」
「それじゃあギャリソンに車を下げるように言ってくるわ。」
「わかった。すぐ行くね。」
どういった心境の変化があったのか、はたまた色との間で何か良いことがあったのかはわからないが、吹っ切れた様子なのに和奏は胸を撫(な)で下ろした。
「ま、瑞希ちゃまはこうでないと、ね。」
バレンタインの前日になってから、珊瑚と和奏はショッピングモールにある目当ての洋菓子店へと足を運んだ。部活もあるのでなかなか2人揃って放課後に時間を取れなかったのだ。用意するチョコレートは本命分も含めて6コ。2人とも、本命には手作りをすると決めてあるので板チョコとトッピング、型を購入していた。後は義理チョコならぬ友達チョコの選定なのだ。
「それにしても…。」
「うん…すごい人だね。」
バレンタイン特設のチョコレート売場はある意味戦場と化していた。ものすごい形相でチョコレートを漁っているOL風の女性もいる。少し気後れしながらも、珊瑚と和奏は遠巻きに商品を眺めていた。と、中から見慣れた姿が吐き出されてきた。
「あ、珊瑚に和奏!」
「あら?藤井ちゃんじゃない。」
「なつみんも、チョコの準備?」
「あったりまえじゃん!しっかりGETしてきたよ!お目当てのモノ。」
そう言って掲げたほくほく顔の奈津実の手には、綺麗にラッピングされたチョコレートの詰まった紙袋があった。珊瑚も和奏も紙袋を覗(のぞ)いてみたもののその数の多さにびっくりした。
「こ、こんなにあげるの?」
「色々頼まれちゃってるからさー。人気者は困るよねー。今月ピンチだってのに。」
と言いながらも表情は嬉しそうだ。チアリーディング部でも一際人気の高い奈津実のこと、チョコレートをもらえた男の子は羨望の眼差しで見られるのだろう。また、その人柄故に頼みやすい、ということもあるかもしれない。
「アンタ達もがんばりなね!」
「ありがとう。」
「じゃ、またね!」
「ばいばい。」
奈津実を見送った後、2人は顔を見合わせると覚悟を決めて戦場へと突入した。
よれよれになりながら戦場から脱出したときには2人ともそれぞれに目当てのチョコレートを無事購入していた。疲れた笑みを見せながらも珊瑚も和奏もこれでまずは一安心だ。
「問題は…。」
「手作りチョコ、だね。」
「頑張って作ろうね!」
「うん、もちろん!そして、頑張って渡そうね、さぁちゃん。」
「うん!」
誕生日プレゼントも受け取ってもらえなかった。きっと今回もダメだろうと予想される。それでも、珊瑚は自分の気持ちを込めてちゃんと手作りのチョコレートを零一に渡したかった。少しでも特別な気持ちが届けばそれでいい、と思っている。
「帰ってすぐに取りかかれればいいんだけど。」
「この時間だとお母さんが夕飯の支度してるかもね。」
「だねぇ。」
明日の朝が勝負かな?とそれぞれに思いながらよたよたと歩き出す2人だった。
(……朝の5時過ぎ。なにか忘れているような……。)
遠くに目覚ましの音が聞こえてきて、珊瑚は手探りで時計を引き寄せると時刻を確認して首を捻(ひね)った。
(そうだ!手作りチョコどうしよう……。)
頑張って作ろうと決めて材料は買ってきてある。躊躇(ちゅうちょ)するのは今回も受け取ってもらえない可能性が高いためだ。しかし、せっかく用意した材料だ。何度も何度も同じ事を考えてしまうが、やっぱり気持ちだけでも届くように心を込めて作らなければ。
「今から手作りチョコを作ろう。がんばるぞ〜!!」
自分にそう言い聞かせると手早く身支度を調えてキッチンへと向かう珊瑚。そして1時間後──。
「よし!このチョコで、いざ勝負!!」
幾度かテンパリングに失敗して作り直したものの、自分でも会心の出来に笑みを浮かべて珊瑚は最後のラッピングまで丁寧に行った。相手はあの零一である。少しの歪みも嫌がるだろう。珊瑚はゆっくりゆっくりと心を込めて自分なりに完璧に仕上げたのだった。