恋 力

2月に入り、生徒達の様子がそわそわとした落ち着かないものになってきた。2週間後にあるバレンタインデーのせいだ。当日は学園内でもそこここでチョコレートを渡す女の子と照れながらそれを受け取る男の子の姿がよく見かけられる。あちこちでこそこそ相談する女の子の集団に一瞥(いちべつ)をくれると、志穂は眉(まゆ)を寄せてため息を吐(つ)いた。
「いちいち世間に踊らされるのって、どうかと思うんだけど……。」
「まあまあ。ありりん、そんなに深刻に受け止める必要もないんじゃない?」
「……別に。私には関係ないけど。」
澄ました顔でそういう志穂に珊瑚は目を丸くして真顔で問いかけた。
「えぇ!? ありりん、守村にチョコあげるんじゃないの?」
途端に、表情を険しくする志穂に珊瑚はしまったと少し身をひいた。
「珊瑚さん。」
「は、はい?」
「どうして私が守村くんにチョコをあげなきゃならないの?」
「え?だ、だって…。」
納得する言葉をもらうまでは一歩も引かない態度の志穂に対して、珊瑚は彼女の神経を逆なでしないように、しかし、確実に桜弥にチョコレートを渡すきっかけに出来るように慎重に言葉を選んだ。
「ありりん、守村のことよく知ってるでしょ?」
「よくってことはないと思うけど。普通よ。」
「私も和奏も守村のことはよく知ってるし、友達だから義理チョコっていうか友達チョコをあげようって相談してるんだけど…。」
珊瑚のその言葉にさすがの志穂も一瞬ぽかんとした表情の後、視線を逸(そ)らせた。
「と、友達チョコ?」
「うん。だってさ、なんか“義理チョコ”って言い方イヤじゃない?仕方がないからあげてるみたいでさ。相手にも悪いし。」
本命じゃないとはいえ、日頃仲良くしてもらっている友達にはやっぱり何かを贈りたい。だけど、それは“義理”なんてものではなく、やっぱり心を込めた贈り物をしたいと思うのだ。その点を強調して説明すると、珊瑚はこう締めくくった。
「だから、ありりんもそうするんだろうなぁってなんとなく、勝手に思ってただけ。ごめんね?」
そう言って顔を覗(のぞ)き込んで手を合わせると、志穂は幾度か視線を彷徨(さまよ)わせた後、困ったような笑みを浮かべた。
「もう、珊瑚さんったら。なるほどね。そう言う意味で渡すのなら、世間に踊らされてみるのも悪くないわね。」
「でしょ?よかったぁー。ありりんならわかってくれると思ってたんだ♪」
あっけらかんとそう言い放って珊瑚が破顔する。ようやく笑みを見せた志穂の表情がそのままピキリと固まった。
「へ?ありりん?どうしたの?」
志穂が口を開くより早く、珊瑚の後ろからその答えが聞こえた。
「有沢さん!海藤さん!今、お帰りですか?」
まさに今話題に上っていた桜弥本人である。珊瑚は内心、しめしめと思いつつ笑顔で振り返った。
「うん、そうだよ?守村も?」
「ええ。よろしかったら、一緒に帰りませんか?」
「うん!一緒に帰ろう!いいよね?ありりん。」
志穂に有無を言わさず強引にそう事を決めると3人連れ立って学園を後にした。

児童公園に差し掛かったところで話題はやはりバレンタインの事に移っていった。言葉少なな志穂の様子は気になるが、どのみちこの先珊瑚1人別れることになるのだ。それから思う存分2人で会話が出来るだろうと、盛り上げ役に終止徹していた。
「やっぱさ、守村もチョコの数って気になる方?」
「そうですね…。気にならない、といえば嘘(うそ)になりますね。」
苦笑して照れたようにそういう桜弥の様子に志穂は驚きの表情をした。桜弥は気付かずに言葉を続ける。
「他の男の子のように人気のバロメーターなんてことは言いませんが、やっぱり友達として普段から気に掛けてる人から頂けるチョコは嬉しいものですよ。あからさまに義理だって言われるとちょっと抵抗はありますけどね。」
「そっかそっか〜。じゃさ、私も守村にチョコ渡してもいい?あ、友達チョコ、だけど。」
すると桜弥はぱっと笑顔になった。
「もちろんですよ!嬉しいなぁ。じゃ、当日、楽しみにしてますね。」
「うん、和奏と2人で美味(おい)しそうなの探してくるね。」
「はい。」
「と、じゃ、ここで私はお別れだから、また明日!」
と分かれ道に差し掛かって珊瑚が手を振った。桜弥もそれに手を振り返す。
「はい、また明日。」
「ありりん、またね!」
「あ、え、えぇ。また明日。」
そうして先に歩き出した後そっと様子を伺うと、桜弥に促されて歩き出す志穂の後ろ姿が見えた。心の中で志穂への声援を送りながら、珊瑚は上機嫌で歩いていった。

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喫茶ALUCARDでもこの時期、バレンタインのおまけが追加されている。すべてのメニューに男性限定で、一口サイズのチョコレートのおまけがつくのである。チョコレートはマスター裕司のお手製で一日限定100人までと決まっていた。このチョコレート、実は隠れファンが多くこの期間にだけやってくる常連客が着いているほどなのである。
「いらっしゃいませ〜。」
ドアベルの音に、和奏が声を掛けると最近見かけるようになった常連客の1人がALUCARDブレンドを注文して、カウンター席に着いた。
「ALUCARDブレンド、入りました〜。」
「はいよー。」
今日は拓とのアルバイトの日である。拓が手早く珈琲を淹(い)れると、和奏がおまけチョコを盛りつけて席まで運んでいく。
「お待たせしました。ALUCARDブレンドと、バレンタイン限定チョコのおまけです。」
「やあ、ありがとう。」
この男性、とあるジャズバーのマスターなのだそうだが、穏和な表情で上品に着崩した服装からはとても想像が出来ない。しかし、接客に対する視線は厳しくそこはやはりマスターをしているだけはあるのだろうと思わせるところだった。
「今日は入りが少ないねぇ?」
拓とは顔なじみのようで、カウンターの中にいる彼にそう声を掛けた。拓も慣れた調子で話を合わせる。
「この時間はこんなもんですよ?今日はまた特別に寒いですし。」
「そうかそうか。今日はホント、冷えるもんねぇ。」
そんな会話を耳に挟みながら、和奏はデリバリーの準備を始める。上得意様でもある隣のスタジオへは男女のスタッフ関係なく、人数分のおまけチョコレートを付けることになっている。今日は少なめで10人分のオーダーが先ほど入ったところだ。和奏は店内を一通り見回して一呼吸置いた後、笑顔で拓に告げた。
「じゃ、デリバリー、行って来ます!」
「おう。寒いから気をつけてな。」
「ありがとう!」
コートの襟を合わせて手を振っていく後ろ姿を見送ると、拓はほっと息を吐(つ)いた。

和奏がAスタジオに入っていくと、そこには疲れた表情のカメラマンとスタッフ達がいた。主役のモデルである珪の姿はない。首を捻(ひね)りながらも余計なことには口を挟まず、仕事だけをこなしていく。
「ご注文の品をお持ちしました〜。」
「あぁ、きさちゃん、待ってたよ。」
顔なじみの一番下っ端のスタッフが笑顔を見せて和奏の側までやってきた。こぼさないように注意しながらぺこりと頭を下げると、和奏は持っていたトレイを差し出した。
「ALUCARDブレンド6つとカフェラテ3つとモカ1つ、後、限定おまけのチョコです。」
「ありがとう。」
和奏からトレイを受け取ると、そのスタッフは申し訳なさそうに扉の1つを指さした。
「ちょっと、モカだけ頼んでもいいかな?」
「……わかりました。」
和奏はモカのカップとそこにおまけのチョコレートを1つ乗せて、言われた扉をノックした。
「失礼します。」
そっと扉を開けるとそこにはむっつりとした表情の珪がイスに1人で座っていた。和奏はため息を1つ吐(つ)くと笑顔を貼り付けて側に寄った。
「葉月くん?」
「……おまえか。」
「はい、モカ。」
「サンキュ。」
珪は少しだけ表情を緩めるとカップを受け取ってモカを一口啜(すす)った。和奏は特に何をいうでなく、側にある雑誌をぱらぱらとめくって見ていた。しばし、静かな時間が流れる。と、空気がふっと緩んだのがわかった。
「如月。」
「なに?」
「ごちそうさま。チョコ、美味(うま)かった。」
「うん。マスターに伝えておくね。」
「……ああ。」
「じゃ、お仕事、頑張って。」
珪の表情からしてもう大丈夫だろう。スタッフとの間で何があったのかはわからないが、珪の雰囲気が穏やかになったところをみると後の撮影は順調に進むに違いない。和奏はそっと部屋を出ると、先ほどのスタッフに目で合図を送っただけでぺこりと頭を下げ、ALUCARDに戻っていった。

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