次の和奏と拓がアルバイトで入る日に、珊瑚はどうしても気になって客として ALUCARD を訪れた。傍(はた)から見ている感じでは、確かに普通に会話をしているようだ。和奏もときどき笑顔を見せては何か言っているし、拓の方も珊瑚と話すときと変わらない表情で話している。と、入口へと視線を向けた拓の表情が微妙に変わった。
「こんちわ。」
そう言って入ってきたのは、珪その人だ。途端に和奏の顔がぱっと輝きすぐに応対に出てくる。ある意味あからさまな和奏の表情の変化と、拓の苦笑いの表情に珊瑚はやっぱり複雑な心境になった。
「いらっしゃいませ!あ、葉月くん!ご注文は?」
「……いつもの。」
「はいはい!モカひとつ、入りまーす!窓側、奥のお席へどうぞ。」
「サンキュ。……おまえ、慣れてきたみたいだな。」
そう言うと、珪はカウンター席にいた珊瑚の後ろを通り過ぎて、窓側奥の定位置に腰を下ろした。和奏が淹(い)れるのかと思った珪のモカは意外にも拓が丁寧に淹(い)れていた。それを嬉しそうに見ながら何かを話しかけている和奏。程なくして、銀のトレイにそのモカを乗せて珪の席へと運ぶと、和奏は笑みだけを見せてすぐにカウンターの奥に戻った。それを確かめてから珊瑚は珪の向かいの席──拓の定位置だったはずの席へと移動した。
「ココ、いいかな?」
「……? ああ、おまえか。」
「そ。私。撮影の合間?」
「……そんなとこ。」
相変わらずぶっきらぼうな返事の珪だ。それを気にすることもなく、また、それ以上言葉をかけることなく、珊瑚はゆっくりとウィンナーコーヒーを啜(すす)っていた。
「……おまえさ。」
「何?」
「今日は、なんで?」
「んー、なんとなく。」
「……ふうん。」
「そう言えばさ、あんたと山中、昔からの知り合いなんだって?」
「ああ。なんで?」
「こないだそんな話聞いてさ。ちょっとびっくりしたの。」
「……そうか。」
「うん。」
また会話が途切れる。しかし、この間(ま)を気にしてると珪とは会話が成り立たない。和奏からそう聞いているのでまた珪が口を開くのを待っていると、案の定声を掛けてきた。
「知ってるか?」
「何?」
「アイツのモカ、すごく美味(うま)いんだ。」
「アイツって…山中?」
「ああ。マスターより美味(うま)いぞ。モカは。」
「へぇ。今度頼んでみようっと。」
道理で拓が淹(い)れてるはずだ。ここまで珪が褒めると言うことは本当に美味(おい)しいのだろう。拓の手つきが普段以上に丁寧だったのも頷(うなず)ける。そんなことを思いながら和奏と拓の様子を伺いつつも、珪との一時を楽しんだ珊瑚だった。
「ありがとうございました〜!」
和奏がアルバイトを終えるのを待って、珊瑚は一緒に ALUCARD を出てきた。もうすっかり日も暮れて一番星が瞬いている。和奏は楽しそうに今日の出来事を珊瑚に話して聞かせていた。
「最近ね、山中くんにモカの淹(い)れ方教わってるんだよ。」
「へぇー。でも、別にモカぐらい淹(い)れられるでしょ?」
「うん、まぁ、そうなんだけど。でもね?」
和奏の言葉にさすがの珊瑚も拓に同情したい気持ちになった。それでも内緒にしてくれと言ったのだ。忘れてくれとも言われた。珪が店に入ってきたときからの複雑な心境を思い出しつつも、和奏の話に耳を傾ける珊瑚であった。
今年に入ってから調子のいい和奏は上機嫌で新学期を迎えていた。初詣では思いがけず珪と一緒にお参りできたし、なかなか話してくれなかった拓とも近頃は会話が弾むようになった。
「昨日はさぁちゃん、もしかして山中くんとのことを心配して見に来てくれたのかな?」
そう言えば話をするようになったことを伝えていなかったとふと思い出して、そう首を捻(ひね)った。昨日 ALUCARD に来るようなことは一言も言ってなかったので、客として入ってきたときはびっくりしたのだ。拓も驚いた表情をしていたように思う。しかし、珪が入ってきたときに席を移っていたので、もしかしたら珪に用事があったのかもしれない。
「だけど、さぁちゃんが葉月くんに用事って…なんだろう?」
独りごちながら校門に差し掛かったとき、珪の後ろ姿が見えた。その途端、今まで考えていたことなど飛んでしまった和奏は、走り寄って珪に声を掛けた。
「葉月くん!今、帰り?」
その声に振り返った珪も微かに笑んで応える。
「ん?おまえか……。」
「ねえ、お茶して帰ろうよ。」
「ああ、かまわない。……暇だし。」
特に悩むこともなく即答してくれたのに気をよくした和奏は、にっこり笑って促した。
「よかった。それじゃ、行こう!」
「なあ……。」
しかし、珪はそんな和奏を見て足を動かさずに問いかけた。和奏は思わず立ち止まって不思議そうに首を傾(かし)げる。
「なあに?」
「おまえ、俺と話すのが、楽しいのか?」
真顔でのその問いかけに和奏はまたにっこり笑って頷(うなず)いた。
「うん、楽しい。」
「……ヘンな奴。」
目を閉じて微かに笑うと、和奏を促して歩き出す珪。和奏はそんな珪の後ろ姿を追いかけながらその言葉の意味を考えるのだった。
いつもの店のいつもの席で、和奏と珪は向かい合ってモカを飲んでいた。ここの喫茶店のモカも ALUCARD とはまた違った味わいで美味(おい)しいのだそうだ。珪が何気なくその話をしていたので、和奏も同じものを頼んでみた。
「ホント、美味(おい)しいね。」
「……だろ?」
「うん。ねぇ、葉月くん?」
「なんだ?」
「飲み物はモカが好きなんだろうけど、何か好きな食べ物ってある?」
ふと思いついて聞いてみたが、珪はあっさりとした答えを返した。
「……特にない。」
「なるほど……じゃあ、嫌いな食べ物とかは?」
ふと、秋の森林公園での一幕が頭を過(よ)ぎったせいで思わずそう聞いてしまった和奏に、珪は嫌そうな顔をした
「生野菜の……苦いヤツ。」
(”苦いヤツ”だって!)
やっぱり、あのカイワレのことだと和奏はおかしくなって、必死に笑いを堪(こら)えたものの軽く肩が揺れてしまった。それをすかさず目に留めた珪が、少し赤くなりながらむっとした表情になる。
「あ…… おまえ、今、笑ったろ」
「ううん、こっちのこと!」
そう言って両手を前で振ってみたものの、しばらくの間、珪の不信そうな視線が弛(ゆる)むことはなかった。