小 春 -2-

初日に手応(てごた)えを感じたとおり、他の科目でも割と順調に答案用紙に向かっている珊瑚だった。と言ってもやはり苦手な生物と英語が少し足を引っ張ってるような感じだ。こればっかりは仕方がないかと諦め半分で、今日の試験を終えた。
「終わったことあれこれ考えてもしょうがないしね。っと、……あれ、鈴鹿?」
テスト期間中はいつも以上に素早く姿を消してしまう志穂のことは気にかけることなく、鞄を持って教室をでて階段に差し掛かったところでこそこそしている後ろ姿を見つけた。その背中にはバスケットシューズが揺れている。
「こんなところで、何してんの?」
「……いや、ちょっとな……。」
途端に慌ててシューズを隠してキョロキョロと辺りをうかがう和馬の様子に、珊瑚は1学期末の自分の姿を思い浮かべながら口を開いた。
「バスケットシューズってことは… わかった、体育館に練習に行こうと思ってる?」
「うわっ、ば、ばか!でけえ声で言うなよ。先生に見つかっちまうだろ。」
焦った様子で尚も視線を彷徨(さまよ)わせながらの和馬に怒鳴られてもちっとも怖くない。珊瑚はニヤリと人の悪い笑みを見せた。
「ごめんごめん…… でも、まだ、テスト中だよ。」
「だから、こっそりな……。何日も部活休んでたら、身体(からだ)、なまっちまうだろ。」
もっともなことを言いながらもどこか挙動不審さは否めない。珊瑚は人の悪い笑みを絶やすことなく問いかけてみた。
「……でも、テスト、大丈夫なの?」
すると和馬は途端に表情を曇らせて吐き捨てるように言った。
「関係ねえよ。今さら一夜漬けしてどうにかなる成績でもねえし。」
「それじゃ、なおさら少しでもやっておいたほうが……。」
「うっせえなぁ、おまえに説教される筋合いねえよ。」
「でも……。」
と続けようとした時に、向こうの廊下の角を曲がってくる零一の姿がちらりと見えた。
「あ!? 先生来た!」
「げっ、やべ!じゃあな!」
「へ!? ち、ちょっと!」
言うや否や脱兎(だっと)のごとく階段を駆け下りていく和馬を呆然(ぼうぜん)と見送ると珊瑚はぽつりと呟(つぶや)いた。
「素早い……。」
その横を怪訝(けげん)そうな顔をして零一が通り過ぎて行ったのだった。

「きっと、1学期末の私があんな感じだったんだろうなぁ。」
その後、我に返った珊瑚はやれやれと言ったため息を一つこぼして校舎を出た。そして、数ヶ月前の自分の姿を思い起こして苦笑しながら歩いていた。
「わぁちゃんの忠告も無視して、の『あの悲劇』だもんね。人のこと言えないよねぇ。」
あの時の背筋も凍るような零一の声を思い出して思わず立ち止まり、ふるふると首を振った。今回はそんなことになってはいけない。吹奏楽部がどうこうというだけでなく、零一の気を惹(ひ)きたいと思うのならなおさらのことだ。明日は得意な地理のテストなので特に問題はないと思われるが、まだまだ気は抜けない。家に帰ってからの勉強の段取りを考えながら黙々と歩く珊瑚であった。

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(今日は… っと、いたいた。)
最近、よく息抜きに屋上へと来ることが多くなった和奏である。理由はそれだけではない。和奏に気付いた人影が苦笑しながら、問いかける。
「最近、おまえとよく屋上で会うな。」
言わずとしれた珪、その人だ。彼もまた人気の少ない場所を求めてここまで来ているらしい。和奏は出来るだけ邪魔しないように、あまり頻繁に行くことは避け、1週間に1度行くか行かないかぐらいの頻度で訪れることにしていた。
「うん、気分転換しによく来るんだ。」
そんなことを嘯(うそぶ)きながら珪の隣の手すりにもたれてはばたき市の町並みを眺める。特に会話をせずに帰ることも多かったが、今日は珍しく珪の方から話題を振ってきた。
「そういえば、おまえの弟…… 名前、なんだっけ?」
「え、尽?尽がまた何かいたずらしたの?」
いい男リサーチと称して珪の後を追いかけ回している尽のことを、珪自身が知らないはずもなく、和奏は幾分赤面しながら問いかけた。すると、珪は軽く首を振って続けた。
「そうじゃない。このあいだここで家族の話したろ。」
「うん、ごめんね。わたし、勝手な事言っちゃって。」
「別に、それはいいんだ。」
あの時の寂しそうな、それでいて頑(かたく)なな珪の態度に和奏は余計なお節介だったかと反省していたのだった。しかし、珪はあの時とは変わって穏やかな笑みのままそのことを否定した。でも、やはり触れられたくない部分なのだろうと、和奏は先に出た尽の話を聞くことにした。
「それで尽がどうかしたの?」
「ああ、俺、一人っ子だから兄弟がいるのってどんな感じなのかなって。」
「そうだなぁ…。」
色々と思い返してみるがあまり良い印象はないので、段々眉(まゆ)が寄っていく。和奏は思いついたままを口にしていった。
「もうすっごく大変だよ。勝手にわたしの部屋に入ってくるし。」
「それから?」
「葉月くんにも、携帯の電話番号勝手に教えちゃうし。」
「でも、そのおかげで俺たち今、こうしてるんだな。」
「そ、それはそうだけど…。」
それは確かな事実である。あの時の珪からの電話がなければ、今こうして会話をしていることはなかったかもしれない。尽に情報を聞き出す前に珪自身から電話番号を教えてもらったようなものだったのだから。どことなく納得がいかないような気もしたが、和奏は続けた。
「あと、すっごく生意気なんだ。」
「どんなふうに?」
興味をそそられたのか珪が質問してきた。和奏はちょっと情けなく思いながらもいつも言われていることを言ってみる。
「姉ちゃん色気無いなとか。ちゃんとオシャレしろよとか。」
「姉思いのいい弟なんだな。」
どんな風に考えたらそういう結論になるのかわからなくて和奏は眉(まゆ)を寄せた表情そのままに疑問を浮かべた。
「そうかな?やたらお節介なだけだよ。」
「なんだかんだ言って、おまえたち仲いいみたいだな。」
目を細めてそういう珪の姿にふと思いついて和奏は聞いてみた。
「もしかして、葉月くんも弟欲しいの?」
「そうだな…… やっぱ、やめとく。」
一度は頷(うなず)くような様子を見せたものの、やはり視線を逸(そ)らせてそういう珪に和奏はまた余計なことを口走ったかと内心落ち込んだ。
(葉月くん、なんだか寂しそう。わたしったらまた変な事聞いて…悪かったかな?)
百面相になっていたのだろう和奏の顔を見て、珪がふと笑みを浮かべた。
「おまえ、考えてる事がすぐ顔に出るな。」
「え〜!そうなの?わかっちゃった?」
わたわたと両頬に手を添える和奏を見て、今度こそ笑顔になった珪は、
「冗談。」
というとくるりと背を向けて片手を上げ、校舎の中へと入っていった。
「もう葉月くんったら!」
(ほお)に添えていた両手を腰に充てて、そう毒づくと和奏は慌てて珪の後ろ姿を追いかけるのだった。

結局そのまま珪に追いついた和奏は一緒に下校していた。珪も特に何も言わなかったので、大丈夫だろうと思ったのだ。テストも終盤に差し掛かっていて特に問題もなくここまで来ている。
「そう言えば、葉月くん、今回はテスト中に寝たりしてない?」
「ああ…。今のところは。」
前回のテストで寝ていて0点だったと聞いた時には卒倒しそうになった。珪の席が和奏の席より前だったのなら消しゴムでも何でも飛ばして起こすことも出来るだろうが、珪の席の方が後ろなので寝ているのかどうか様子を伺うことも出来ず、気になっていたのだ。珪のその返答にも少し脱力感を覚えて和奏は言葉を続けた。
「ダメだよ?テスト中に寝たりしちゃ…。」
「…どうして?」
「どうしてって…。0点だったらイヤでしょ?」
「別に…。」
はぁっとわざとらしくため息をつくと、和奏は挑戦的に人差し指を珪に突きつけてこう宣言した。
「今回は、テスト中に居眠りなんかしてたら、わたしが葉月くんより上位にいっちゃうからね!」
意外に子供っぽく負けず嫌いの珪のことだ。こういえばやる気になるはず…との和奏の読みは正しかった。ちょっと驚いた表情の後、珪は面白そうな笑顔になったのだ。
「…言ったな。見てろ。」
「わたしだって負けないんだから!」
(葉月くんのそんな表情もカッコイイ…。)
言葉とは全然違うことを考えながら和奏は歩いていたのだった。

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