「次週日曜、課外授業を行う。」
文化祭の間なかった課外授業が、終わった途端に復活したようだ。零一がいつものようにきびきびと説明を始める。
「今回は動物園を見学する。午前10時、公園入り口に集合だ。参加希望者は挙手するように。」
最初の時こそ参加しようか悩んだ珊瑚だったが、今ではもう悩むこともなくすぐに挙手する。きっと和奏も参加するだろう。後で確認しておかなければ。そうしている間に零一が挙手した者の名前を手元のノートにメモして頷(うなず)く。
「……よろしい。では、次の日曜、挙手した者は必ず集合するように。」
挙手した生徒全員が集合場所と時刻を書き込んだのを確認してから口を開く。
「以上、ホームルームを終了する。」
「起立!」
日直の志穂の号令に全員がさっと席を立ち、そして一斉に礼をすると零一もきちんと礼をして教室を後にした。珊瑚は今メモした手帳を眺めて蛍光ペンで丸を付ける。
(今度の日曜日か…… 寝坊しないようにしなくちゃ。)
今日はなんとか母親に車で送ってもらったので事なきを得たが、さすがに課外授業では車で送ってもらうわけにもいかない。目覚ましだけはきちんとセットしようと心に決めて、音楽室へと急いだ。
(あ、空模様があやしいな…… 家につくまで降らないといいけど。)
吹奏楽部の練習も終わり、帰ろうと校舎を一歩外に出て何気なく空を見ると、どんよりと曇った様子なのに眉をしかめた。そうして校門まで歩いたところで、目の前にスーッと一台の車が追い越しかけて停まる。
(わぁ、すごいクルマ…… どんな人が乗ってるんだろ。)
珊瑚が興味津々の表情でその品のいい車を見ていると、音もなく窓が下がって笑みを湛(たた)えた紳士の顔が覗(のぞ)いた。
(あれ?この人、たしかこの間……。)
「お嬢さん、よかったらお乗りなさい。」
先日、教会前で和奏がぶつかった紳士なのを思い出したときにそう声を掛けられた。珊瑚は驚いて周りをキョロキョロ見回す。
「えっ。」
「今にも降り出しそうだからね。家まで送ってあげよう。」
紳士は笑みを絶やすことなくそう声を掛ける。珊瑚は戸惑ったような表情を浮かべた。
「あ、あの……。」
「さ、早く。」
そう言われて、助手席側のドアまで開けてもらっては断りようもない。
「は、はい。」
珊瑚は観念して車に乗り込んだ。そして低いエンジン音を出しながら滑るように車が走り出すと、はっとしてどこか怖々と紳士の様子を伺った。
「……ん?どうかしたのかな?かわいい眉間に皺を寄せて。」
対して謎の紳士はどこかしら楽しそうな雰囲気でハンドルを操る。珊瑚は困った表情そのままの声を出した。
「いえ、あの…… 私、知らない人のクルマに……。」
失礼な気もするが、知らない人には違いない。上目遣いで紳士を見ていると、面白そうに笑われてしまった。
「……ハハハ、なんだ、そんなことか。いやいや、それは深刻な問題だね。」
「……え!?」
「安心しなさい、大丈夫だよ。それに、私と君は前に会ってるよ。」
赤信号で車が停まると、紳士は珊瑚の方を向いてにっこり笑った。
「ほら、魔法の教会。」
「あ…… はい。」
まぁ、確かに会ったのは学園内なのだから学園の関係者なのだろうし、問題はないのかな?とまだ半信半疑ながら大人しく家までの道のりを説明した。
「さぁ、到着しましたよ。お嬢様。ね?無事に送り届けたろう?」
間もなく珊瑚の家の前に着き、そうおどけたように言うと紳士は車を停めた。珊瑚はシートベルトを外すとぺこりと頭を下げた。
「あの、ありがとうございました。それから…… ごめんなさい、私、疑っちゃって……。」
「いいさ。レディはそれくらい慎重でちょうどいい。」
気分を害した風もなく紳士は笑みを崩すことなくそう言って珊瑚を安心させた。珊瑚はもう一度ぺこりと頭を下げて車から降りる。
「じゃあ、私はこれで。またね。」
最後まで優しい笑みを絶やさず紳士的なその様子に、珊瑚はますます首を捻(ひね)った。
(本当に一体誰なんだろう?あの人…。)
「え?また会ったの?あの人に?」
翌日。和奏と連れ立っての通学途中で昨日あったことを珊瑚は話した。和奏は目を丸くして珊瑚の話を聞いていた。
「ね?やっぱり学園の人… だよね?」
「うーん、まぁ、簡単に部外者が学園に入れるとは思わないしねー。」
「だよねぇ…?」
考えていてもわからないものはわからない。謎の紳士の話はそこまでにして、忘れない内にと珊瑚は課外授業の話を持ち出した。
「今度の日曜日なんだって。和奏どうする?」
行くだろうと踏んでの問いかけだったが、和奏は困った様に眉を寄せると両手を顔の前で合わせた。
「ごめん、さぁちゃん。その日は約束があるの。」
「あ、そ?じゃ、今回は行かないのね?」
「うん、ホントゴメンね。でも残念〜。」
「ま、しょうがないよ。いつも突然だし。」
「で?今回はどこに行くの?」
諦めきれないのか、和奏は行き先を尋ねた。その時はホントに他意はなかったのだ。しかし、
「んっとね、今回は動物園だよ。」
との珊瑚の言葉にしばし絶句した。珊瑚が訝(いぶか)しがる前に重要なことをもう一つ聞く和奏。
「し、集合は?」
「10時にバス停だけど…?わぁちゃん、どうしたの?」
「あ、うぅん、なんでもないっ!」
(どうしよう… 絶対にかち合うよぉ〜。)
珊瑚の疑わしげな視線に目もくれず、和奏は心の中で自問自答を始める。
(時間、ずらしてもらおうかな… 早め?うぅん、葉月くんのことだから遅れることも考えると遅くした方がいいよね。うん、今晩電話しよう!)
和奏の考える時の癖で右手の人差し指をあごにあてて、心持ち上目遣いの視線であれこれ考えてるのを見て、珊瑚は和奏の頭にぽんぽんっと手を乗せた。
「え!え、なに?」
「どこ行くの、日曜日?」
「え、え〜っとぉ…。」
「もちろん、葉月と、だよねぇ?」
にーっこりと満面の笑みで珊瑚が迫ると、和奏はおどおどと視線を逸(そ)らし、しかしすぐにため息一つ。珊瑚に視線を合わせると苦笑しながら頷(うなず)いた。
「はばたき山に紅葉狩りに行こうと思って。」
「あ、なるほど。そろそろシーズンも終わるもんねぇ。」
そう言えばはばたきネットにそんな情報が載っていたと珊瑚は頷(うなず)きながら和奏の頭に乗せていた手を降ろした。
「じゃ、待ち合わせはもちろん…。」
「10時にバス停。」
「ずらした方がいいね、あんまり見られない方がいいっしょ?葉月のためにも。」
「そうだよね、やっぱり。」
はぁーっとため息をつくと、和奏は珊瑚と一緒に門をくぐった。
こちらからの誘いをこちらから変更するのはいささか気が引けたがそれもこれも珪のためだと言い聞かせ、その夜和奏は珪に電話をかけた。
「……はい。」
「あ、葉月くん?わたし…。」
「おまえか。どうした?何か用か?」
「あのね、今度の日曜日のことなんだけど…。」
珊瑚から聞いた零一の課外授業の集合と重なっていることを告げると、案の定電話の向こうの珪の様子が変わった。断られる前にと、和奏は慌てて言葉を紡ぐ。
「だからね!だから、待ち合わせの時間、30分遅らそうかなと思って、電話したの。」
途端にほっとした雰囲気が伝わってきて、和奏も幾分ほっとして珪の言葉を待つ。
「あぁ、わかった。じゃあ、10時30分に、バス停、だな。」
「うん、ごめんね?」
「…構わない。じゃあ。」
「ありがとう。おやすみなさい。」
「…おやすみ。」
はばたき山行きのバスと動物園行きのバスとは違う路線なので、バス停で会わなければまず顔を合わせることはない。帰りは珊瑚に動物園を出る時に連絡してもらうことにして、時間をずらして帰ろうと和奏は考えていた。