輪 舞

文化祭が終わってしばらくは、気が抜けたせいもあって家庭科室に近寄りもしていない和奏だった。そうは言っても、1年生である和奏にはもちろん部活動はまだまだ続いている。出欠が自由なのをいいことに、少しの間羽を伸ばしていたのだ。そんなこんなで、久しぶりに訪れた家庭科室。次の課題はテディベアだということで、和奏は少し悩んでしまった。ぬいぐるみは面倒な作業が多く、時間がかかるものだ。そういえば、と和奏は入部当初のことを思い出した。
(先輩達、みんなテディベアを作ってたよね… ということは、期限は結構長かったり?)
簡単だったのはホントに初めだけだったのかと少し落ち込んだが、やるからにはきっちりやり遂げたい。テディベアということで、基本の熊の型紙は全員一緒だが、逆にだからこそ素材や小物で自分らしさを表現していかなければならない。最初は手間取っていた和奏だったが、徐々に作業に没頭していった。

(……遅くなっちゃった。早く帰ろうっと。)
作業に没頭していたせいで最終下校時刻になってしまった。こんなに遅いのは久しぶりだ。慌てて片付けて家庭科室を出ると、隣の美術室から明かりが漏れているのが目に付いた。
(あれ?美術室、まだ人がいるみたい……。)
不思議に思った和奏はそっと美術室を覗(のぞ)いてみた。誰もいない部屋に独特のオーラを纏(まと)った人影がぽつんと佇(たたず)んでいた。
(三原くん…… だよね?いつもと違う人みたい、なんか怖いくらい……。)
声を掛けようかどうしようかと迷っている間に、色の方で気が付いた。
「おや?やあ、如月くん、そこに居たんだね?ちょっと待ってて……。」
和奏が口を開きかけると手を挙げてそれを制し、いくつかの色をキャンバスに載せた後、納得したのか改めて色は和奏に視線を向けた。
「ごめん、邪魔しちゃったかな?」
ちょっと申し訳なく思いながら色に近づきつつそう声を掛けると、色は笑って首を振った。
「いいさ、もう切り上げなくちゃいけないところだったんだ。」
もうすっかりいつもの様子の色にどこかほっとして、和奏はさっき思ったことを口に出した。
「……ねぇ、三原くんって、絵を描(か)いてる時は別の人みたいになるんだね。」
「見てたの?はずかしいな……。」
途端に眉を寄せて表情を曇らせる色。和奏は誤解されたと思って慌てて両手を振って言葉を続けた。
「うぅん!すごく真剣な顔で、カッコよかったよ。」
「そう……。なかなか思うように表現できなくててこずっていたから……。」
どこか悔しそうな表情の色に和奏はきょとんとした表情で目を丸くした。
「三原くんでも、そういうことってあるんだね。」
「もちろんあるよ…… テーマに惹(ひ)かれれば惹(ひ)かれるほど、より完全を求めてしまう……。」
心外だと言わんばかりの表情を見せた後、色は独り言の様に呟(つぶや)いた。和奏は天才は天才で大変なんだなぁと素直に思った。
「そっか…… 今日は何を描(か)いてたの?」
「習作だよ…… ボクはこのところ同じものばかり描(か)いている。」
「同じもの……。」
興味が湧(わ)いてキャンバスを覗(のぞ)こうとした和奏だったが、それよりも早く色はさっと布を掛けてしまった。そしておもむろに片付け始めると和奏に声を掛ける。
「ううん、いいんだ。さあ、一緒に帰ろう!もう鐘は鳴ってしまったよ。」
「あ… うん。それじゃ、帰ろう。」
(ちょっとぐらいどんな絵か見たかったな…。)
そうは思ったものの、やっぱり描(か)きかけの絵を、しかも納得がいかないところで見られるのは嫌なものかもしれないと思い直し、促されるまま色と一緒に下校した。

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「須藤さん、はよぉ!」
「あら?如月さんも今いらしたの?」
下駄箱のところで瑞希の姿を見つけた和奏は早速声を掛けた。いつも一緒に登校している珊瑚は寝坊したらしく、先に行ってて欲しいと電話があったため今日は1人だ。和奏は上靴に履き替えながら話し続ける。
「今日はさぁちゃん、寝坊したらしくてね。」
「まぁ… 海藤さんにしては珍しいのね。」
和奏が履き替えるのを待ってくれていた瑞希と連れ立って教室へと歩きながら他愛もない会話を交わす。
「そういえばさ?」
「なにかしら?」
「須藤さんなら知ってるかな?今、三原くんが取り組んでいる絵のモチーフ。」
昨日、隠されてしまって見れなかった絵がどうしても気になってしょうがない。よくよく考えてみれば、色が描(か)きかけとはいえ自分の作品を隠す、ということがあまりないような気がしたのだ。描(か)きかけであっても興味を示せば、瞳を輝かせて自分のモチーフについて滔々(とうとう)と述べるのが色だ。色のおっかけ ─というと語弊があるが─ の瑞希なら何か情報を持っているかもしれないと思っての他意ない問いかけだった。
「色サマの?今取り組んでいる絵、ですって!?」
ところが、逆に瑞希は目をつり上げて和奏を見た。和奏が驚いて瞳(め)を丸くするのもお構いなしに、瑞希は人差し指を突きつけながら声を荒げる。
「どうして、貴方がそんなことを知ってるのよ!?」
「え?あ、いや… 昨日、クラブの帰りに見かけただけで…。」
「色サマは、今は取り組んでいるモチーフなんか無いわっ!このミズキが知らないんですからねっ!」
「え、え?でも…。」
「なによぉ!?ミズキがウソを付いているとでも言うの!?」
「ち、違うよ〜…。」
困ったことになったと和奏は内心頭を抱えた。色のことならなんでも知っていると豪語している瑞希だからこそ知っていると思ったのだ。まさか瑞希でさえも知らなかったなんて…。わかっていたら絶対に聞いたりしない。和奏はなんとか宥(なだ)めようと言葉をかける。
「須藤さん、聞いて!お願い!」
そう言ってひとまず瑞希を黙らせると、和奏は昨日あったことを全て話した。ただし、一緒に帰ったことは伏せて。初めは険しい表情を崩さなかった瑞希だが、色が絵を隠して見せなかった、ということを聞くと、途端に表情から険が取れた。和奏はほっとして、もう一度尋ねた。
「…と言うわけだったの。だから、須藤さんなら知ってるかと思って…。」
「そうだったの。それじゃ、昨日突然ミューズが色サマの元をお訪ねになったのかもしれないわね。」
「そうだね。それじゃぁ、わたし、すごく邪魔しちゃったのかもしれない…。」
ちょっとしょんぼりしてそう言うと、瑞希は励ますように和奏の肩に手を置いた。
「色サマが邪魔じゃないとおっしゃったのなら、大丈夫よ。モチーフの件は私が聞いておいてあげるわ。」
「ホント?ありがとう!」
「どういたしまして。」
そうしてこの一件はなんとか事なきを得たのだった。

和奏からの話を聞いた瑞希は早速昼休みに色を探しに行ってしまった。そのためいつもの中庭の木陰には瑞希を除く5人が集まっていた。和奏が瑞希には内緒だと念を押して今朝の一幕を話すと、志穂は眉をひそめ、奈津実と珊瑚は遠慮無く大笑いした。
「あっはっは、お嬢に良く聞いたねー!」
「ホントホント、でもさすがわぁちゃんだよね。私達だったら絶対誤解されたまま険悪なムードになってるよ。」
「だ、ねー!」
「須藤さんにも困ったものね… 人の話はちゃんと聞くものだわ。」
「あー、無理無理!お嬢にそんなこと言ったって、それこそ人の忠告なんて聞きやしないんだから。」
奈津実がひらひらと手を振りながらそういう。珠美は困ったような表情でそんなやりとりを見ていた。
「それにしても、三原のその絵っての、すごく気になるねー。」
「でしょ?三原くんって例え描(か)き始めの点だけであってもあまり隠したりしない気がするんだよねぇ。」
「確かに。彼は独自の価値観の持ち主だもの。」
「あ、ありりんって三原と話したことあるんだ?」
「中学2年の時、一緒のクラス。人の邪魔ばかりするから困ったものだわ。」
「あ、わかる〜!突然人の作品覗(のぞ)き込んで、あぁだこうだ言うんだよねぇ。」
「そうそう。アドバイスは有り難いけれど、うるさくされるのは迷惑だわ。」
志穂がうんざりしたようにそう言った。経験者の和奏はくすくすと笑いながら同意した。
「で?お嬢って今、三原のトコ?」
「うん、早速聞いてくるって美術室に向かったよ?」
「いい言い訳が出来て喜び勇んで行ったんだろうね。」
「ま、あのコの場合、言い訳なんか無くても居場所さえわかったらすっ飛んでいくだろうけど。」
奈津実の言葉にその場にいた全員がさもありなんと笑った。

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