クラス出展ではウェイトレス担当に決まったが、だからといって準備が何もないわけではない。メニューやローテーション、それにエプロンの柄などと決めなければならないことがたくさんあるのだ。白熱していた議論もようやく区切りが付いたので、一息入れようと和奏は1人教室を出てきたところだ。
(ハァ、ちょっと疲れちゃった。屋上で、外の空気でも吸って来ようっと。)
一学期の美術の課題で訪れてから、ずっとお気に入りになっているのがこの屋上だ。人も少なく、景色も良く、ゆっくりと気分転換するにはもってこいなのである。この時間なら誰もいないだろうとそっと屋上の扉を開けたところで、逆に普段はいない人影を見つけた和奏はそのまま固まってしまった。
(……あれ?あそこにいるの……。)
そこには電話を片手に遠くを見つめて穏やかな表情の珪が立っていた。
「……ああ、聞いてる。今年は母さんも向こうだって……。」
どうやら電話中らしく風に乗って声が聞こえてくる。
「……大丈夫、こっちはこっちで楽しくやるよ…… 仕事、うまくいってるんでしょ?」
なんとなく邪魔するようで屋上へ出ることも出来ず、また引き返すことも躊躇(ためら)われて和奏はそこから一歩も動けずにいた。気付かない珪は話し続けている。
「……いいよ、いつものことだし……。………………。ゴメン、そういう意味じゃ……。」
微かに苦笑を滲(にじ)ませた珪のその横顔に和奏は少し切なくなった。
「とにかく、気にしないでいいよ。……ああ、父さんもね。じゃあ、もう切るよ……。」
珪が電話を終えポケットに入れたところで我に返った和奏は、しかし、立ち聞きした状態になったのをちょっと心苦しく思いながらも声を掛けずにいられなかった。
「葉月くん?」
「……あっ ……おまえか。」
やはり和奏に気付いていなかった珪が、少しびっくりしたような表情でこちらを見る。その視線に純粋な驚きしかないのを認めると、和奏は屋上へ出てドアをきっちり閉め、珪の方へと歩きながら小首を傾(かし)げて口を開いた。
「今の、もしかしてお父さん?」
「……聞いてたのか?」
「ごめん…… でも葉月くん、家族の人と話してると、いつもと印象が違うんだね。」
そう言って珪の隣に立ちはばたき市の方へ視線を向けると、珪がかすかに笑った気配がした。
「……そうか?」
「うん、なんか“イイ子”っていう感じで、意外だった。」
「………………。」
言おうか言うまいか少し悩んだが、結局和奏は視線だけを珪の方に向けて呟(つぶや)いた。
「ちょっと、寂しそうにも見えた…… かな。」
「……考えすぎだろ。」
目を閉じてそう断定すると、珪は笑みを覗(のぞ)かせたまま和奏の肩を軽く叩(たた)いた。
「……ほら、行くぞ。文化祭、いろいろやることあるだろ?おまえ。」
「う、うん。」
(葉月くん、やっぱりなんだか寂しそう…。)
そう思いながらも今度は口にせず、珪の後に続いて階段を降りる和奏だった。
珊瑚の方も準備に慌ただしく立ち働いていた。焼き方担当者はみんな上手くたこ焼きが丸まらなくて四苦八苦している。関西出身であるまどかの指導の元、必死の練習が毎日続いていた。
「姫条〜、俺たちには無理だって。」
「何言うとんねん。男が根性見せて焼かんかったら誰が焼くんや!」
「お前はそりゃ慣れてるのかもしれないけど…。」
「こんなんすぐに慣れるって!ホレ、貸してみ。」
溶いた小麦粉を手早く型に流し込み、上から天かす・小エビ・紅ショウガをふりかけ、最後にたこを型1つ1つに丁寧に入れていく。そうして、順番にくしでひっくり返していくのだが…。さすがはまどか、一切の無駄がなく綺麗にたこ焼きが丸まっていく。型からはみ出ていた小麦粉や天かすも丸めるときに上手く中に入れていき、ほとんど捨てる部分がない。
「おぉ〜!!」
「さっすが姫条くん!」
「ま、ざっとこんなもんや。力を入れすぎずに素早く丸めていく。これがコツやね。」
そうこうしている内に綺麗に焼き上がったたこ焼きを紙皿に見栄え良く並べていく。そして、ソースを塗り、鰹節と青のりをふりかけ、最後にマヨネーズをかけると完成だ。まどかは出来上がった皿を近くにいた珊瑚に渡すとウィンクしてこう言った。
「売り子さん達で食べて〜。」
「あ、ありがと、姫条。遠慮なく頂くね。」
珊瑚も躊躇(ちゅうちょ)することなくにっこり笑顔で受け取り、売り子の順番を決めていたテーブルに出来たてのたこ焼きを置く。
「わぁー、やったー!」
「姫条くん、ありがとう!!」
口々にまどかにお礼を言いながら嬉々としてたこ焼きを頬(ほお)張る売り子担当の女の子達。珊瑚もご相伴に預かりながら、相変わらず女の子達へと気が利くまどかの態度に苦笑していた。
(……まったく。でもホント、美味(おい)しい♪)
文化祭準備の合間である日曜日。気分転換にと理由を付けて、和奏は珪と映画に行く約束を取り付けていた。SFXを駆使した迫力ある映像で、今、絶大なる人気を誇っているSF映画『VEROCITY OF LIGHT』だ。前々から心待ちにしていた映画でもあり、和奏はとても楽しみにしていた。
(葉月くん、まだ来てないみたい……。)
待ち合わせの駅前広場に10分前に着いた和奏は、キョロキョロと辺りを見回して珪がまだなのを確認すると、ほっと息をついた。手鏡を取り出して紫のスクエアバレッタを止め直し視線を上げると、ゆっくりとこちらへ向かって歩いてくる珪の姿を見つけた。
「待たせたか?」
「ううん、わたしも今来たところだから!」
「……そうか。」
そうして珪の視線が和奏の足下まで降りて、また顔に戻ってきた。
「その服……。」
「えっ?」
どこかおかしかっただろうかと、自分の洋服を見る。今日は白いハイネックのニットに水色の膝丈のプリーツスカートだ。PURE 系で揃(そろ)えてきたはずだけど… と不安げな表情の和奏に珪が笑みを見せた。
「似合うな、そういうの。好きだよ、俺。」
(よかったぁ!!この服、葉月くん気に入ってくれたみたい。)
途端に笑顔になる和奏。そんな和奏を促して、珪は映画館へと歩き出した。
「この映画、すごくすごく楽しみにしてたの。」
「……そうか。」
「うん!葉月くんも気に入ってくれるといいなぁ♪」
チケットは珪が一緒に買ってくれた。その代わり、ドリンクとポップコーンは和奏が購入した。
「始まるな…… 中、入るか。」
「あ、待って!」
時計を確認して呟(つぶや)いた珪の言葉に慌てて続いて館内に入場する。と、珪が真ん中よりやや右側の空いてる席を指さしてこういった。
「……あそこの席でいいか?」
「うん。」
2人並んで席に着き、先ほど買ったポップコーンを一緒に食べている内に照明が落ち、予告編が始まった。予告編の間はドリンクを飲んだりしていた和奏だったが、本編が始まるとぐいぐい映像に引き込まれていき、隣りにいる珪のことさえ忘れて観入っていた。
「今日の映画、最高だったよね!」
二時間半の長丁場だったにも関わらず、興奮冷めやらぬ様子の和奏の感想に珪も笑顔を見せて賛同する。
「そうだな。俺、かなり気に入った。いい映画だと思う。」
「よかった〜。葉月くんも気に入ってくれて。」
にこにこしながら先ほど買ったパンフレットを手に持ち和奏はご満悦だ。そんな和奏の様子を、珪は目を細めてみていた。
「楽しかった、今日。……また呼べよ。」
映画館を出たところで珪がそう言ってくれた。
「うん!また面白そうなのを見つけたら連絡するね。」
「あぁ、楽しみにしてる。」
そうして、また少しの間(ま)をおいた後、結局珪はいつものように軽く手を挙げた。
「じゃあ。」
「うん、またね。」
最近、帰り際にふとした間(ま)が出来るのを気になってはいるが、和奏はなるべく気付かないふりでやり過ごすようにしていた。
(そうだ!帰ったらさぁちゃんに電話しようっと♪)
「絶対オススメだよ!観に行った方がいいよ〜。」
家に帰り着いた和奏は早速珊瑚に電話を掛けた。期待以上に面白い映画だったので、珊瑚にも観てもらいたかったのだ。
「へぇー。そんなによかったんだ?」
「うん!さぁちゃん、SFはあまり好きじゃなかったっけ?」
「うーぅん。そんなこともないけど…。」
(誰と一緒に行くってのよ!?)
という心の叫びは押し込めて、なんとか和奏の言葉をかわしていく。うっかり“行く”と言ってしまったときには、後々感想を求められるのがわかっているからだ。何か上手い言い訳はないものかと少しの間考えて、珊瑚は口を開いた。
「どっちにしても、文化祭が終わるまでは無理だよー。フルートのコトもあるし。」
「あ、そっか〜。残念。でも確か、11月いっぱいだったと思うから、機会があったら絶対行ってね!」
「うん、わかった。」
「それじゃ、おやすみ〜。また明日ね。」
「ん、おやすみ。」
電話を切ると珊瑚はくすくすと笑い出した。
「本当は、葉月とデートした報告をしたかったんだよね。」
きっと珪も気に入ったのだろう。だからこそ、余計に楽しかったのだろうと思われる。ふと、零一はどんな映画を観るのか気になった珊瑚だったが、首を振ると広げていた楽譜をたたんで鞄に入れた。
「それよりも。私の方も今週は勝負の日があるんだからね。」
部屋のカレンダーに付けた赤丸印を見つめて珊瑚は決意を固めていた。