翌朝。珊瑚が和奏の家に着くのと、和奏が玄関から出てきたのはほぼ同時であった。2人は笑みを交わすと、学園へ向けて歩き出す。
「昨日、帰り遅かったんだって?」
早速母親から聞きつけたのか、和奏が少し首を傾(かし)げて珊瑚に尋ねた。昨日帰宅した時に母親が話していた電話の相手は、和奏の母親だったのだろう。珊瑚と和奏もさることながら、母親同士も学生時代からの親友らしい。父親同士も部署は違うが同じ企業に勤めているし、つくづく縁のある2人なのである。
「うん。文化祭の課題曲でね、どうしても納得いかないところがあって、ヒムロッチに見てもらってたんだ。」
「へぇ〜。それで、上手くいきそう?」
「うん!もうバッチリ!さすがヒムロッチって感じ?」
「なにそれ〜。」
そんなことを2人で話しながら歩いていると、交差点に差し掛かったところで反対側から歩いてくる珪と出会った。
「葉月くん!はよぉ。」
和奏がすぐに笑顔で挨拶(あいさつ)をする。珊瑚も横から顔を出し、
「おはよう、葉月。」
と挨拶(あいさつ)した。珪は和奏に微かに笑んだようだが珊瑚を見てまた表情を戻した。
「……おはよう。」
「今日もいいお天気だね!」
和奏は気にした風もなくにこにこと珪に話しかけている。珊瑚は自分を見て表情が戻った珪を見逃さなかった。
(お邪魔虫で悪かったわね!)
それにしても… と2人の様子を見ていると、珪は和奏には幾分表情を和らげているのに気が付いた。
(へぇー!いつの間(ま)にこの2人、こんなに仲良くなったんだろう?)
疑問に思いながらも2人の邪魔にならないように押し黙っていると、そんな珊瑚に珪が急に視線を向けた。
「………お前。」
「!な、なに!?」
まさか自分に話が振られるとは思わなかったのでびっくりして返事をすると、和奏がくすくすと笑っていた。
「さぁちゃん、聞いてなかったの?」
「え、あぁ、ごめん。で、何?」
「……フルート。」
「フルート?」
まだぽかんとしている珊瑚に軽くため息をつくと、珪が言葉を紡ぎ出した。
「フルート、上手いんだってな。」
「へ!? あ、まぁ… 子供の時からやってたからね。」
「さぁちゃんのフルートはすっごいんだから!今度の文化祭でも1年生なのにソロを任されたんだよ!」
和奏がまるで自分のことのように自慢気に珪に話して聞かせているのを見て、珊瑚は少し気恥ずかしくなった。和奏の言葉を受けて、珪が微かに目を丸くしてまた珊瑚を見たのにも一因はある。
「わ、わぁちゃん……。そんな、大げさな。」
「大げさじゃないよ!わたし、すっごく楽しみにしてるんだからね!」
和奏がにこにこしながらそういうと、珪も珊瑚に笑みを見せ、
「俺も…… 楽しみにしてる。」
「あ、ありがとう… がんばるね!」
(うわぁ!あの葉月が笑ったよ!)
思わぬ珪の笑みに少し顔を赤くしながらも、珊瑚は後で和奏に問いつめようと心に決めた。
「で、その後葉月とはどうなってるわけ?」
昼休み。久しぶりに2人きりで昼食をとることになったので、珊瑚は気兼ねなく和奏に尋ねた。和奏はお弁当の包みを解きながら驚いた表情をしている。
「とぼけたってム・ダ!何よ、今朝のあの親密な空気は!」
「え…?そ、そんなことないよぉ…。」
赤くなりながら否定する和奏。それから少し考え込んで口を開いた。
「ホントに、大したことは何もないんだよ?夏休み中に一度遊園地に遊びに行ったけど…。」
「あ、あの夜遅くに送ってもらってたときね。」
「うん… 後は、時々一緒に帰るぐらいで…。」
そう言えば、と和奏も一つ思い当たることがあった。
(最近、葉月くん前より笑顔が増えたかも。)
「ホンットになんっにもないの?」
珊瑚がしつこく念押しする。和奏は苦笑して、
「他の人よりは仲良くなったかもしれないけどね、何もないよ…。それよりさぁちゃんこそ、どうなのよ?」
と切り返してきた。クエスチョンマークを頭の上に乗せて首を傾(かし)げる珊瑚に、和奏の方こそため息をついた。
「さぁちゃん、絶対に今気になってる人、いるでしょ?」
「ど、どうしてそう思うわけ!?」
真っ赤になって口をぱくぱくさせている珊瑚に和奏はもう一度ため息をついた。
「最近、同じ人の話ばかり聞くよ? ……もしかして、自分で気付いてなかった?」
「う……。」
「ホント、そういうとこ前から変わらないね。」
そう、珊瑚はいつも無自覚の内に恋に落ちている。そして、和奏に指摘されて初めて意識するのである。しかし、今回はちょっと相手が相手だ。和奏は言葉を選んで口を開く。
「今回は、これ以上わたしは何も言わない。自分で気付いてちゃんと自衛しとかないと知らないよ?」
「………ご忠告ありがとう。」
珊瑚は今になって気付いた気持ちに赤くなりながら、でも、まだそれほど深入りしていないことに自分の動揺の度合いで気付くとほっとした。今はまだ、大丈夫だ。他人のことになると何故か鋭くなる和奏にまたもや感謝する珊瑚であった。
「次週日曜、課外授業を行う。」
またもや突然の課外授業宣言。珊瑚は手帳を開いてスケジュールを確認する。
(良かった、今度の日曜日は特に予定ないや。)
「今回は植物園を見学する。参加希望者はいるか?」
珊瑚は迷うことなく真っ直ぐ手を挙げた。視線があった瞬間、零一が微笑んだように見えたのは気のせいだろうか?零一は、挙手した生徒の名前を書き留めると集合場所を告げ、ホームルームは終了となった。
「残念だわ。今度の日曜は予備校の模試があるのよ…。」
志穂が心底残念そうに呟く。その言葉にそう言えば、と珊瑚は思い出した。
「ね、ありりん?」
「なに?」
「ヒムロッチの課外授業って担任クラスだけしか参加できないのかな?」
「……?どういうこと?」
「わぁちゃんが参加したがっててさ。」
と前回の課外授業の後に和奏が言っていたことを話すと、志穂は首を傾(かし)げながらも答えてくれた。
「多分、大丈夫だと思うけど?」
「そう?」
「ええ。でも、一応氷室先生に聞いた方がいいと思うわ。」
「そうだよね… じゃあ、これからちょっと聞いてくる。」
「ええ。それじゃ、また。」
「またね!予備校、頑張って。」
そうして志穂と別れると珊瑚は職員室へ急いだ。
ドアをノックしてから開けると中には零一以外の教師の姿も見えた。珊瑚は軽く会釈すると真っ直ぐ零一の所へ行く。
「氷室先生。」
「どうした?」
「あの、課外授業のことなんですが。」
「何か問題でもあるのか?」
完璧を誇る零一の瞳に鋭さが増す。珊瑚は慌てて首を振ると言葉を続けた。
「いえ、そうではなくて、氷室先生の課外授業は、担任クラスの生徒しか参加できないのでしょうか?」
「……というと?」
「はい。私の友達が隣のクラスなんですが、氷室先生の課外授業があると話したら是非参加したいと前に話していたもので。」
「なるほど。その生徒のクラスと氏名を言いなさい。」
零一は特製の課外授業名簿を開き、一番下の覧に万年筆の先を乗せながら促した。
「はい。如月 和奏。隣のB組の生徒です。」
珊瑚の言葉に零一は万年筆を走らせながら、優しい顔立ちの和奏の顔を思い出した。
確か、彼女は今年の編入生で一学期末のテストでは上位の生徒だったはずだ。それに、この珊瑚とよく一緒にいるところを見かける気がする。そんなことを思いながら零一はクラスと名前を書き留めると珊瑚に向かって口を開いた。
「いいだろう。参加する意志がある生徒なら歓迎する。明日、君が一緒に連れてきなさい。」
「はい、ありがとうございます。」
その名簿には他に日にちや場所、その時の評価等も書かれていたようだが、不躾(ぶしつけ)に覗(のぞ)き込む様なことはせず珊瑚はちらりと名簿に目を向けただけで、すぐに視線を零一に戻した。
「出来れば今日中に参加の意思を確認したかったところだが、もう家に帰ってるかもしれないしな。」
「わかりました。」
「よろしい。では、気を付けて帰りなさい。」
「はい。失礼しました。」
ぺこりと頭を下げて職員室を後にする珊瑚の表情は明るかった。