課 外

「以上。今日はこれで終了する。」
そう言って零一が教科書を閉じるのと同時にチャイムが鳴る。今日の日直である和奏の声の元、クラスメートが立ち上がって礼をするのを見届けると、きびきびとした動作で零一は教室を後にした。
「如月さん。」
「あ、須藤さん。」
帰り支度を終えた瑞希が鞄を持って和奏の元へやってきた。和奏は日誌を取り出して今日の出来事を書こうとしていたところだった。
「あら?今日は如月さんが日直だったの?」
意外という感じで目を丸くする瑞希に、和奏は苦笑した。相変わらず、自分のこと以外には無関心なようである。
「うん、そうだよ。」
「せっかくミズキがご一緒してあげようと思ったのに…。」
少し残念そうに瑞希が呟く。どうやら今日はテニス部の練習は休みなようだ。和奏は申し訳なさそうに両手を顔の前で合わせると、
「ごめんねぇ… また今度誘ってくれる?」
「それじゃあ、仕方ないわね。お先に、A bientôt! -じゃあね- 。」
すぐにいつもの勝ち気な笑顔に戻って瑞希は優雅に去っていった。和奏は日誌の続きを書き留めるために、再びノートに視線を落とした。

(……ふう。日直の仕事で、遅くなっちゃったな。)
職員室まで日誌を届けた後、和奏は時計を確認して軽くため息をついた。この時間では、公園通りまで買い物に出かけるのは少し無理がある。本当は文化祭用の布地を見に行きたかったのだが…。諦めて真っ直ぐ家へ帰ろうと校門まできたところで、ゆっくりとバイクを押しながら通り過ぎる人影に気付いた。
(あ、あれ……。私服だけど、姫条くんだ。)
その人にもバイクにも興味を惹(ひ)かれて、和奏は大きく手を振って声を掛けた。
「姫条くん!!」
その声に気付いたまどかが振り返って破顔する。和奏が側まで来るとバイクを安定させてから口を開いた。
「おう、和奏ちゃん。今から帰りか?」
「うん。姫条くんは?」
「オレは、今からガソリンスタンドのバイトに行くとこや。」
まどかは苦学生である。親元を離れ1人で生活しているんだといつか聞いたことがあった。
「へぇ〜、そうなんだ。ところで、そのバイク……。」
「ああ、バイト先で、休憩時間にでも手入れしたろ、思てな。」
バイクのハンドルをぽんぽんと軽く叩きながら続ける。
「あそこやったら用具も揃(そろ)てるし。こんぐらいの公私混同はかまへんやろ。」
「そうだね。でも、どうして乗らないの?」
当然の疑問を和奏が口に乗せると、まどかはなんでもないことのように答えた。
「ん?そら、ほれ、免許あれへんもん。」
「え……?」
まさか免許も持っていないのにバイクを持ってるとは思わなかったので、和奏は少し驚いた表情でまどかを見た。するとまどかは少し遠い目になってバイクを見つめ、
「このバイクな、大阪からこっち来るとき、センパイからもろたんや。せんべつ、っちゅうヤツやな。せやから、オレにとっては特別なバイクやねん。」
そう言ってまた和奏に視線を戻し、
「今はまだ乗られへんけど、そのうち免許取って、必ず乗りこなしてみせるんや。それまで、故障なんかさせるわけにはいかんやろ?」
と笑って見せた。和奏もうんうんと頷(うなず)いて聞いている。
「校則やなんやら大人はうるさく言うけど……。オレにとっては、そのセンパイとの大事な約束やからな。」
目を閉じて微かに笑むまどかはとても優しい表情をしていた。和奏はなんとなくそのバイクに目を向ける。傷一つ無く、ぴかぴかに磨かれているところを見ると、まどかがどれだけそのバイクを大事にしているかがよくわかる。
「……おっ、アカン!のんびりしとったらまた遅刻してまうわ!店長、すぐ怒りよるしな。……ほな、オレ行くし、気ぃつけて帰りや!」
ふと思い出したように時計を見たまどかが慌てて、しかしバイクを伴っているために慎重に歩き出した。
「ありがとう。姫条くんもバイト、頑張ってね!」
まどかを見送りながら和奏は考える。
(姫条くんのバイク……。きっと大阪 (むこう) での思い出がいろいろ詰まってるんだろうな。)
なんとなく温かい気持ちになって和奏も家への道のりを急いだ。

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それより少し前、珊瑚はフルートの入った鞄を抱えて音楽室へと急いでいた。
(教室でおしゃべりしてたらすっかり遅くなっちゃった……。ヒムロッチに怒られるよー。)
最近、仲間内で着けた零一のあだ名を心密かに呟きながら下駄箱まで降りてきたところで、職員室の方から歩いてくる人影に気付いた。
(あれ?ありりんだ……。)
いつも授業が終了すると真っ先に帰っていく志穂がこんな時間までいるのは珍しい。興味を惹(ひ)かれて珊瑚は声を掛けた。
「ありりん?」
「海藤さん。」
珊瑚に呼び止められると、少し眉を寄せ考え込んだ表情だった志穂の表情が和らいだ。
「珍しいね、ありりんがこんな時間までいるなんて。どうしたの?」
「ええ、ちょっと氷室先生に数学の質問をしていたら…… いけない、今何時!?」
珊瑚の抱えているフルートの鞄に気付いて慌てて時間を確認する。珊瑚が時計を確かめて時間を告げると、
「予備校に遅れちゃう!」
とだけ言って急いで自分の下駄箱に手を掛ける。
「ありりん?」
「ゴメン、私、急ぐから!じゃあね、あなたも部活ばかりしてないで、早く帰って勉強したほうがいいわ!」
そう言うと慌ただしく校舎を出ていった。呆気(あっけ)にとられて見送りながら珊瑚は、
(相変わらず忙しいコだなぁ…… ありりん。)
と思いつつ、自分も時間がなかったことを思い出して音楽室へと急いだ。

志穂が質問をしていたせいか、いつもより遅れて零一が音楽室に姿を見せた。おかげで珊瑚の方が先に着いていたのでホッと胸を撫で下ろす。
(それにしても…… このソロの所、ブレスがきついなー…。)
夏の合宿を頑張った成果か、珊瑚は今度の文化祭の演奏でソロパートを任されていた。しかし、何度やっても同じところで躓(つまず)くし、上手くいってもどうも音がぶつりと切れた感じがしてせっかくのソロパートが台無しなのだ。あれこれ試してみたものの自分1人では上手くいかないと悟り、零一に質問することにした。
「氷室先生。」
「海藤。どうした?」
生徒達の練習の様子を見ていた零一が、近づいてくる珊瑚に気付いて視線を向けた。珊瑚は譜面の問題の箇所を指しながら教えを請う。
「私のソロパートのところでアドバイスを頂きたいんですが…。」
「いいだろう。まずは君の演奏とどうしてそうなったのか経緯を話しなさい。」
「はい。」
珊瑚は言われたとおり、零一の前で自分の見解での演奏をし、どうしてそう言う演奏の仕方をしたのかを説明した。零一は無駄の多い説明を一番嫌っているので、珊瑚なりに要点をまとめて簡潔に説明していく。珊瑚の説明を頷(うなず)きながら聞いていた零一は譜面を見ながら少し考えると口を開いた。
「なるほど。君の見解は間違ってはいない。」
「はい。」
「だが、どうしてもここを一息で演奏できないのだな?」
「はい… ですが、そこは一番重要なので一息で演奏すべき所だと思うんです。」
「ふむ…… なかなか鋭い意見だな。では…。」
零一が珊瑚の意見を聞きながらブレスの位置を書き込んでいく。そのたびに珊瑚は零一の指示通りに演奏し、意見を述べ、また零一がブレスの位置を直していく…。そうしている内に部内の他のメンバーは先に帰宅していった。珊瑚はどうしてもこのソロパートの部分が気になって仕方がなかったので、ここの問題が解決するまでは帰ろうとしなかった。
「……こんなところだな。」
「はい!氷室先生、ありがとうございました!」
納得のいく仕上がりになって零一も珊瑚も笑みを交わす。もう辺りはすっかり日も暮れて暗くなり、かなり遅い時間になっていた。
「よく頑張ったな。今日はもう遅い。自宅まで送ろう。」
零一も珊瑚の熱心さに押されて時間を忘れてすっかり没頭してしまっていたのだ。珊瑚に家に連絡を入れさせるとすぐさま自宅へと送っていった。
(こうして先生に送ってもらえるなんて。大変だったけど頑張ってよかったな。)
また一つ、零一のコトがわかった気がして珊瑚は少し嬉しくなった。

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