和奏も珊瑚も暑い中、なんとかそれぞれの合宿課題を消化していた。その間、部活をやっている和馬や桜弥、色と会ったし、瑞希や奈津実、珠美とは自由時間に談話室でゆっくり話すことも出来た。その時に聞いたのだが、さすがに運動部は練習がハードなせいもあり、食事当番はマネージャーがすべてやっているらしい。
「いいよねぇ… お嬢と藤井ちゃん。食事当番ないんだってさ。」
「そうだね。でも、紺野さんなんて逆にマネージャーだから毎食作ってるんだよ?」
「それはそうだけどさぁー。」
「それに、合宿前に2人で練習したんだから、大丈夫だよ。」
「あぁ… 明日が憂鬱(ゆううつ)…。」
「さぁちゃんったら。」
明日木曜日は和奏も珊瑚も夕食の食事当番に当たっている。談話室で会った奈津実と話した後、部屋へと戻りながら珊瑚がぼやいていた。
「さぁちゃんは筋は良いんだから、自信持って大丈夫だよ〜。」
「そう言われてもねぇ… 料理、嫌いなんだもん。」
そう。珊瑚は家庭科の中でも料理が嫌いだった。が、決して下手なわけではない。めんどくさい、というのが主な理由だ。実際、作り出すとレシピ通りにしか作れない和奏よりも、独創性があり美味(おい)しい料理を作れるのだ。
「さぁちゃんって贅沢(ぜいたく)だよ…。」
珊瑚には聞こえないように和奏が呟く。それに気付かなかった珊瑚は和奏に笑顔を向けて手を振った。
「それじゃ、また明日ね♪」
「うん、また明日。」
そうしてそれぞれのクラブ室へと別れると、和奏は一つため息をついた。
翌日。昼休みの間に買い出しに出向く2人の姿があった。もちろん、それぞれ今日当番に当たっているメンバーと一緒である。どちらも“ラグーのパッパルデッレ”を作ることになっていた。和奏も珊瑚も当番長になっていたので、事前に2人で示し合わせて練習までしたのだ。
「あ、わぁちゃん!」
「さぁちゃん達も買い出し?」
「うん!ね、バター、一緒に買って半分こしない?小さいのがなくてさー。」
珊瑚の言葉に目の前の陳列棚に目をやると、たしかに大きな箱しかないようだ。
「でも、吹奏楽部員結構人数いない?半分で足りる?」
「あ、じゃなくて、一箱では足りないのよ、逆に。」
珊瑚が苦笑して言葉を続ける。
「一箱と半分ぐらいは必要なのよね。だから、半分にしないかなぁ?と思ったの。」
「あぁ、そういうことか。うん、いいよ。うちはそんなに人数いないから。」
和奏も笑いながら了承した。他にもローリエやチーズなど分けられそうな物は一緒に買って分けることにした。どちらも予算が限られているので、この方法は意外に安くつき我ながら名案だったと珊瑚はほくほく顔で学園に戻った。
「ん?まさか、これを君が作ったのか?」
合宿での食事は基本的にセルフサービスである。顧問の教師も同じだ。よって、零一がトレイを片手に珊瑚の前まで来たところだった。
「はい、がんばってみました!」
にっこり笑顔でそう返すと、零一は眉を寄せ、
「合宿にここまで手の込んだ料理は必要ない。」
「ま、まあ、そう言わずに…… 食べてみてください!」
当番長として食べもせずに判断されるのでは悔しすぎる。和奏と一緒に事前に練習したおかげで、今日の料理には絶対の自信があるのだ。珊瑚がラグーのパッパルデッレを盛りつけて渡すと、零一は一つ頷(うなず)いて隣のサラダも手に取ると自席に着いて食べ始めた。部員全員に行き渡り後は自分達の分だけになったのを確認してから、当番達もそれぞれに盛りつけて空いてる席へと着いて食べ始める。珊瑚は零一の側に行くとそっと様子を伺った。
「………………。」
「あの、お味のほうはいかがですか?」
もくもくと食べている零一に少し緊張しながら声をかけてみる。すると、
「申し分ない。私は普段複雑な料理を口にしないが、この味の絶妙さは理解できる。」
と相変わらずの難しい返答をした。そして、珊瑚に視線を合わせると微かに笑みを浮かべ、
「合宿の夕食も、捨てたものではないな。」
とまで言ってくれたのだ。珊瑚は頑張った甲斐(かい)があったと内心ガッツポーズを決めていた。
(おいしかったみたい!気合い入れてよかった!)
対してこちらは手芸部。和奏は初めて見る紳士を目の前にどう対応したらいいのかわからずに困っていた。同じ当番の部員達も困った様に顔を見合わせている。
「ずいぶん難しいものに挑戦したね。なかなかおいしそうだ。」
(顧問はいないはずだけど… この人は誰なんだろう?)
なんだか先輩達は知っているみたいだけども、今日同じ当番の1年生部員達は誰もわからないようだ。なんとなく聞くに聞けない雰囲気もあって誰にも確かめられずにいた。
「やあ、君が夕食当番なんだね?私もご馳走してもらいたいな。かまわないかな?」
優しい笑みを浮かべてそう尋ねられた和奏は、困惑したものの断る理由は無いような気がする。
「は、はぁ、どうぞ……。」
和奏は曖昧(あいまい)な笑みを浮かべると盛りつけた皿をその紳士に手渡した。紳士は近くの空いている席に座り、優雅な仕草で食事をしている。そして、キョロキョロと辺りを見回して、和奏と目が合うと微笑んで手招きをした。びっくりした和奏も周りを見回してみたものの、呼ばれたのがどうやら自分らしいとわかると恐る恐るその紳士の側へ向かった。
「おいしいよ。難しい料理なのに……。君は本当に料理が上手だね。」
そう言って褒めてもらえると悪い気はしない。なので和奏は笑顔を作って、
「ありがとうございます。」
と素直に礼を言った。紳士はうんうんと頷(うなず)くと、
「感心したよ。さすがはばたき学園の女生徒だ。立派なレディ予備軍だね。ごちそうさま。」
そう言って優しく和奏に微笑みかけ、食器を返却口へと戻して部屋を出ていった。
(あの人、いったい誰なんだろ?)
和奏は疑問に思いながらも自席に戻って残りを食べ始めた。
そして迎えた合宿最終日。和奏は思ったほど捗(はかど)らなかった自身の作品に少し落ち込んでいた。綾子(りょうこ)に手伝ってもらってなんとか型紙までは仕上げたのだが、どうも納得いかないのだ。だが、合宿期間中にはどうすることも出来ずに学生会館を後にした。
「……なんだか、ちっとも成果が上がってないような気がするなぁ……。」
クラブハウスにある部室のロッカーへ荷物を取りに来た和奏は、そこに不思議な箱があるのを見つけた。
「……あれ?なんだろう、この箱?」
見るからに怪しげではあるが、和奏より後に帰宅するらしい部員全員のロッカーの前に同じような箱があり、また、先に帰った先輩部員達のロッカーの前には無くなっているのを確認すると、そっと手に取ってみる。
「こ、これは!?」
中に入っていたのは手芸部伝統のアイテム“癒しのぬいぐるみ”だった。しかし… と和奏は首を捻(ひね)る。
(顧問の先生もいないのに、一体誰が…?)
この学園では合宿が終了するとそのクラブ伝統のアイテムが頂ける、というのは有名な話だった。だが、顧問もいない手芸部では渡してくれる誰かがいない。そのために勝手に和奏は手芸部にはそういうのはないものだと思っていたのだった。しかし、他の部員のロッカーにもあるし、持って返っても差し障りがないのだろうと思って和奏はそれを鞄に詰め、帰路へと就いた。
吹奏楽部の方では、顧問である零一が一人一人にきっちりと合宿での成果を伝えて、伝統アイテムを手渡していた。
「君にもいくらかの成果が見えた。しかしやはり、日ごろの練習不足は否めない。」
「はい。」
珊瑚にもわかっていた。課題曲が難しいからと言って、それを理由には出来ない。他の部員はそれなりにきっちりと仕上げているのだ。
「君はまだ理解していない。我が吹奏楽部が目指すのは、完全な調和(ハーモニー)のみだ。この先も吹奏楽部に在籍するつもりなら、認識を改めなさい。」
厳しい零一の言葉に唇を噛みしめると、珊瑚は伝統アイテムを受け取ってみんなの中に戻った。
「…珊瑚。」
美代がそっと声をかける。珊瑚は目だけをそちらに向けた。
「あんまり気にしない方がいいよ?一年生はみんな同じようなものなんだから。」
「うん、わかってる。」
美代を安心させるために無理に笑顔を作って珊瑚は解散の合図を待った。
「…以上だ。諸君、合宿は今日で終了だが、明日の合同練習を忘れないように。解散。」
零一の合図にそれぞれが大きな鞄をさげて帰っていく。
「さあ、家に帰ろう!」
珊瑚も美代と連れ立って学生会館を出た。
「伝統アイテムって何だろうね?」
「うん、ちょっと楽しみかも。」
家に帰ってから開けてみると、珊瑚の方は吹奏楽部伝統のアイテム“ポップンフルート”だった。そして明日の合同練習のために、課題曲の譜面を取り出して復習をする。文化祭まで後二ヶ月半。合宿を終えたばかりではあるが、まだまだ気を抜くことは出来ない。珊瑚は思い詰めた様にフルートを吹き続けるのだった。