はげまし

夏の強化合宿が始まった。校舎の西側に学生会館という建物があり、そこにそれぞれのクラブ毎の宿泊施設がある。大部屋で雑魚寝になるがちゃんとしたキッチンも個々に着いており、合宿中は各自で自炊することになっている。合宿期間は毎年8月の第二週と決められており、この間、食堂は完全休業となるためだ。

学生会館まで一緒に来た珊瑚と和奏は入口のところで別れた。というのも、和奏が所属する手芸部は家庭科室でないと作業が出来ないため、荷物のみ学生会館に置いてすぐさま校舎に入るからだ。顧問の先生もいないため、特別に集まって先生の話があるわけでもないらしい。珊瑚の方は学生会館の吹奏楽部合宿室にて顧問の零一が来るのを待っていた。
「なんだか初めての合宿って緊張するね。」
クラリネット担当で奈津実と同じE組の小寺 美代が話しかけてきた。彼女はアルバイト先の先輩である佳代の妹である。年子で生まれたせいかあまり姉妹(きょうだい)仲は良くないらしく、いつも姉に反発してまったく違うことをして育ってきたらしい。本当は姉思いの優しい子なのだが。そういう経緯もあって、姉佳代が通う私立羽ヶ崎高校でなく、このはばたき学園に入ったのだそうだ。珊瑚も苦笑しながら美代に答えた。
「特に氷室先生と一週間ずっと一緒ってのがねぇ…。」
「ホントホント。」
等々と話している内に10時になり、それと同時に零一が現れた。すぐに静まる吹奏楽部員達。零一は満足そうに一つ頷(うなず)くと口を開いた。
「諸君。この一週間は、今年の文化祭に向けた強化合宿だ。遊び気分でいる者は邪魔だ。強制的に帰宅させる。以上。」
零一の言葉が終わって脇の椅子に腰掛けると、部長が立ち上がって皆の前に出、副部長が楽譜を配った。
「えぇ。今、氷室先生がおっしゃったとおり、今配布した文化祭の曲をこの一週間で仕上げてもらいます。本番まではまだ時間がありますが、細かい調整等を入れる時間を考慮して、この合宿中に合奏までは持っていくつもりで皆さん頑張ってください。」
渡された楽譜はビゼーの『アルルの女』より「ファランドール」だ。少し難易度が高い。
(うぅ……がんばろう!)
珊瑚は気合いを入れ直し、美代や他の部員達と共に音楽室へと移動した。

一方、和奏は家庭科室で文化祭の説明を聞いていた。今年の文化祭では、カジュアル系のファッションショーをやるらしい。自身で作った服を自身が着て披露するので、二人一組になって取り組むように部長から指示があった。
「如月さん、一緒にしよう?」
「あ、月森さん。うん、もちろん!」
和奏に声を掛けてきたのは月森 綾子(りょうこ)、1年F組の同級生だ。ミシンの扱いが今一つ上手くいかない和奏にいつも丁寧に教えてくれるありがたい存在である。
「どんな服がいいかなぁ?」
「スカートの方が簡単なんだけどねぇ…。」
デザインも一からオリジナルでということなので、落書き程度に色々書いては消し書いては消ししながら形にしていく。
「赤のチェックのジャンパースカートにするわ。ブラウスはオーソドックスな白より黒の方がいいかな♪」
昔から人形の洋服などを自分で作っていた綾子(りょうこ)は何点か描いた後に、そのうちの一点に絞って細かく書き足していく。和奏は未だ悩んでいた。
「私、いつも洋服はスカートばかりだからパンツの方がいいなぁと思うんだけど… やっぱり難しいかなぁ?」
「そうねぇ… じゃぁさ、パンツはごくオーソドックスに簡単にして、トップスで凝ってみたらどう?」
「あぁ、そだねぇ。それなら何とかなるかな?」
綾子(りょうこ)のアドバイスを聞きながら自分のデザインを形にしていく。合宿初日はデザインだけで終わってしまった。

ライン

初日の今日はどの部室のキッチンからもいい香りが漂っていた。一年生は合宿自体に慣れていないし、二年生はその慣れない一年生の面倒を見なければならない。となると必然的に残った、部長を初めとする三年生が受け持つことが多いせいだろう。今日の手芸部の夕食はちらし寿司だった。手芸部は家庭的な子が多いため、料理も豪華になってくるものらしい。和奏は舌鼓をうちながらも自分が考えている料理で本当に大丈夫かどうか不安になってきた。担当は綾子(りょうこ)と一緒で木曜日の夕食である。
「如月さん、美味(おい)しいね♪」
綾子(りょうこ)は脳天気に美味(おい)しそうに食べている。和奏は頷(うなず)きながらも不安な表情を隠せなかった。
「ホントに美味(おい)しい… でも、こんなに美味(おい)しいものを先に食べちゃって、わたしたちのとき大丈夫かなぁ?」
「誰も比べたりしないよ〜。それに、先輩より美味(おい)しいものを作った方がまずくない?」
瞳をくるりとさせてイタズラっぽく綾子(りょうこ)がそう言う。和奏も思わず笑い出して、
「それもそうだね。」
「そうそう。変な心配しないに限るよ♪」
と後は素直に美味(おい)しいちらし寿司を堪能したのだった。

吹奏楽部では手芸部とは違って男子もいるために、もっと夕食は簡単かつ合理的なものになっていた。こちらも部長を含む三年生の担当となっていたが、いかんせん男子の担当だったということもあり、ごくごく普通のカレーライスだった。
「結構普通の料理なんだね。」
「ホント。結構よその部のキッチンからは複雑にいい香りがしてたのに…。」
珊瑚と美代はちょっとがっかりしながらカレーライスを食べていた。
「ま、でも、うちは男子が半数いるしね…。」
「でも、園芸部にも美術部にも男子はいるよ?」
「園芸部は自分トコで色々作ってるからまた考え方が違うだろうし、美術部はあの三原がいるんだから、ヘタな料理出せないじゃん。」
珊瑚がそう分析すると、美代は納得したのか、
「あー、なるほど!そう言う訳ねぇ。」
とまた一口ごく普通のカレーライスを食べた。
「インスタントとか缶詰とかじゃないだけいいじゃない。」
「それもそうだ。カレーとは言えちゃんと材料切って料理してるもんね。」
かなり失礼なことを言いながら2人はカレーライスを平らげた。

こうして合宿初日の夜は更けていったのだった。

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