翌日、音楽室を訪れた珊瑚のフルートケースには昨日もらったポップンフルートが揺れていた。伝説のアイテムとは言っても要はお守りみたいなもので、実用品よりもキーホルダーやアクセサリーのようなものが多いのだ。珊瑚がもらったポップンフルートはキーホルダーになっていたので、早速フルートのケースに着けてみたのだった。
音楽室に入って出席の印を付けると、珊瑚はフルートを組み立て始めた。程なくして美代もやってくる。彼女のクラリネットケースにも同じポップンフルートのキーホルダーが着いていた。
「おはよう!」
「おはよう。全員フルートなの?」
「みたいだね。はば学の吹奏楽部卒業生で有名な人がフルート奏者なんでしょ?」
「あ、それで…。」
納得した顔になった珊瑚に美代はいたずらっぽく目を細める。
「だから、うちの部で一番厳しいのってフルートだって知ってた?」
「え゛!?」
「…やっぱり知らなかったみたいね。」
ふふふと口元に手を当てて笑う美代を横目に珊瑚はため息を一つついた。
「どうりで氷室先生の指導が厳しいわけだ。」
「そういうこと。ま、精進なさいな。」
そう言って珊瑚の肩をぽんっと叩くと美代はクラリネットパートの席に戻っていった。珊瑚も気を取り直して音の調節から始める。
(そういうことなら余計に氷室先生の期待を裏切れないわ… 頑張らなくちゃ!)
また闘志を燃やす珊瑚だった。
その頃、和奏はバス停で人を待っていた。キョロキョロと視線を彷徨(さまよ)わせては俯(うつむ)いて待っている。
(遅いなぁ……。待ち合わせ場所、本当にここで良かったのかな?)
何度も手帳を開いて確認する。間違っていないはずだ。
(だって今日は、遊園地でナイトパレード見るんだもん。)
そしてまた視線を上げて左を向いたとき、待ち人 ─── 珪が現れた。
「葉月くん!」
思わずほっとして顔がほころぶ和奏。珪は申し訳なさそうな顔で和奏の側までやってきた。
「悪い。…俺、遅れた。」
「ううん。大丈夫。そんなに待ってないよ。」
和奏が笑顔でそう言うと珪も幾分ほっとした表情で、
「そうか… よかった。」
と笑みを見せた。そしてちょうど来た遊園地行きのバスに乗り込んだ。
「入るぞ。」
パスポート付きの入場券を買ってゲートをくぐる。中に入ったところで珪がおもむろに尋ねた。
「どれに乗るんだ?」
「えっと……。」
どうやら和奏に付き合ってくれるらしい。ゲートのところで渡された案内図を眺めて和奏は少し考える。
「観覧車に乗りたいな…。」
「ああ、そうだな。」
珪はあっさり頷(うなず)くと遊園地の一番奥へと歩き出した。和奏も遅れないように着いていく。と、前までと違って小走りにならなくても付いていける速さなのにふと気付いた。
(葉月くん、最初の頃より歩く速さが遅くなってる気がする… もしかして歩調も合わせてくれてるのかな?)
ふふふっと声を立てずに笑うと珪の一歩後ろを着いていく。まだ短い列に2人並んで観覧車を見上げた。
「のんびり廻(まわ)ってるね……。」
「ああ、いいな。」
そうこうしている内に和奏達の順番が回ってきた。まだ昼間のせいか空(す)いているので相乗りをしなくて済んだようだ。ほっとして乗り込むと係員がドアを閉めた。ゆっくりのんびり観覧車が動き出す。和奏は景色を楽しみながらも、少し眠気がして何度も意識して瞬きを繰り返した。珪も目を細めて外を眺めていたようだ。
「おまえ、観覧車の中で、ずいぶんおとなしかったけど……。」
観覧車を降りると珪がそう聞いてきた。見られていたのかと少し恥ずかしかったが、和奏は素直に頷(うなず)いた。
「うん、なんかね、すごく眠かったよ」
「あ、俺も。半分寝てた……。」
そして珪は微かに笑みを浮かべると、
「今度、中で寝てみるか。……係の奴、困るだろうな。」
と言って和奏を驚かせたのだった。
主立ったアトラクションを堪能した後、売店でジュースを買って一休みしているときに案内図を見ていた珪が口を開いた。
「…ナイトパレード、観ていくか?」
「うん、観たい!! 実はそれが楽しみだったんだ♪」
和奏が待ってましたとばかりに頷(うなず)くと、珪も微笑んで、
「そうか、楽しみだな。」
と言ってくれた。珪の方も口にこそ出さないが楽しみにしていた様子が見て取れる。それからまだ少し時間は早かったが、場所取りのために2人は移動し、パレードが始まるのを待った。
「……いいな、パレード。」
話している内にパレードが始まった。煌(きら)めく列を見ながら珪が目を細めて呟く。和奏はパレードから目を離すことなく、心ここにあらずの状態で頷(うなず)いている。
「見ていると時間を忘れるよね…。」
「光の洪水だな…… 俺たちのまわりだけ、時間が止まってるみたいだ……。」
珪はそう言って一度和奏を見、優しく微笑むとまたパレードに視線を戻した。和奏は完全にパレードに魅入っていて気付かなかった。
「ほぅ……。」
パレードの最後尾が完全に見えなくなってから、和奏は感嘆のため息をついた。周りの人達はもうとっくに動き出していて、珪と2人取り残されている。
「……そろそろ行くか?」
そんな和奏に黙って付き合ってくれていた珪は、ようやく現実に戻ってきた和奏に驚かさない様にそっと声を掛けた。
「…うん。ごめんね、こんな時間まで付き合わせちゃって。」
「…構わない。俺も、楽しめたから。」
「ありがとう。」
そうしてどちらからともなく歩き出し、なんとか最終バスに間に合って2人で乗り込んだ。
「俺、送ってやる。」
パレードの余韻に浸りながらバスに揺られているときに珪が突然そう言った。
「……え?」
「夜ももう、遅いし。」
「あ、うん…。」
(葉月くんが家まで送ってくれるなんて初めてだぁ〜。)
そう思うと少し顔を赤くして和奏は最寄りのバス停までドキドキしながら、窓ガラスに映った珪の姿を見ていた。
大して時間もかからずにバス停に着き、そこから少し距離のある和奏の家まで送ってくれた珪に和奏は頭を下げた。
「今日は送ってくれてありがとう。」
「ああ、じゃあな。…部活、がんばれ。」
珪は和奏が顔を上げるのを待ってから片手を上げて歩き出した。和奏は珪の姿が見えなくなるまで見送っていた。
(葉月くんに送ってもらっちゃった。)
少し赤い顔で反芻(はんすう)していると後ろから肩を叩かれた。
「こーんな夜遅くにお帰りですか?」
「きゃっ!? さ、さぁちゃん!?」
「他人(ひと)が必死にクラブ活動している間にデートだなんて羨ましいねぇ。」
珊瑚がニヤニヤしながら和奏を見ていた。和奏は今や顔を真っ赤に染め上げて必死に弁明しようとする。
「ち、違うの!」
「違わないでしょ?どこ行って来たの?」
「………遊園地。」
渋々といった感じで和奏がそう答えると珊瑚はぽんと一つ手を打った。
「あ、そっか!そう言えば夏休み期間はナイトパレードやってるんだっけ?」
「うん。キレイだったよ〜。」
先ほどの動揺を忘れてしまったかのようにのほほんと答える和奏に、珊瑚は苦笑した。
「わぁちゃんだけずるいなー。」
「ずるいって… だって、今日、さぁちゃんクラブだったんじゃない…。」
「だ・か・ら・よ!全く、合宿が終わった翌日が全体練習日だなんてふざけてるにもほどがあるわ。」
文句を言いながらも笑みさえ浮かべてる珊瑚の表情に、和奏は今日の練習は上手くいったんだなと察せられた。
「あ〜… わたしも明日からは気合い入れ直して文化祭の準備しなきゃなぁ…。」
「文化部の辛いところだよね。ま、お互いがんばろ。」
「うん、そだねぇ。」
「それじゃ、またね。」
「うん。バイバイ。気を付けてね。」
珊瑚も姿が見えなくなるまで見送ると今度こそ和奏は家に入っていった。