清 籠 -2-

期末テストが始まった。問題用紙を前に、珊瑚は頭を抱えていた。
(こ、これじゃ全然ダメ…!)
やはりサボっていたツケは大きかった。何が書いてあるのか、何を聞いているのかさっぱりわからないのだ。そっと伺うと志穂はなんの問題もないようで、すらすらとペン先が動いているのが見えた。きっと和奏もそれほど苦にせずにこのぐらいの問題は解いているのだろう。せめて、三択の所だけでもと埋めていくことにする。
(これは補修決定、かな…。)
零一の冷たい視線を思い出し、冷や汗を流しながら答案用紙を提出する珊瑚だった。

そして結果発表の日。最初の国語で覚悟を決めたとおり、語学、数学、選択の三大科目で赤点の珊瑚は195位。対して和奏は47位である。
「わ、わぁちゃん… さすが…。」
「さぁちゃん… だから言ったのに…。」
珊瑚が和奏を尊敬の眼差しで見つめると呆れ顔で和奏が返す。珊瑚はやれば出来るのだ。ただサボっていただけ… というか、フルートにかまけてちっとも勉強なぞしていなかったことは明白である。と、そこへ珪が通りがかった。
「……如月。」
「あ、葉月くん!」
掲示板に目を通して再度和奏の方を見ると、珪は微笑を浮かべた。
「期末、がんばったな。」
「うん!ありがとう!」
やっぱり珪に褒められると嬉しい。珊瑚は自分のあまりにお粗末な点数に和奏の影に隠れるようにしてじっと黙って2人のやりとりを聞いていた。
「でも、おまえなら、もっと上、行けそうだな。」
珪のその言葉に和奏は破顔した。─へぇ、葉月って人を褒めることもするんだ…─ 等と思いながら珊瑚はますます耳を傾ける。
「ホント?ホントにそう思う?」
「…ああ。」
「えっと… 葉月くんは…。」
嬉しそうな和奏の様子に珊瑚も笑みを浮かべて一緒に珪の順位を探してみる。珪の順位は和奏より下の77位だった。和奏は何度も確認して、技術家庭で0点なのを見て驚く。珊瑚も同じように驚いて珪の方を見、和奏が口を開くのを待った。
「葉月くん、どうしちゃったの?」
「なにがだ?」
「だって、葉月くんが、0点取るなんて……。」
和奏が順位表を指さしながら尋ねると、珪は別に大したことはないとでも言うようにあっさりと頷(うなず)いた。
「…ああ。……寝てた。」
「えぇ!?」
びっくりして固まっている和奏をよそに、珪はいつもの無表情を崩さない。
(……葉月って、いったい……。)
そんな珪の返答に珊瑚は内心笑い転げていた。そんな珪に声が出せない和奏を見ると余計に笑いがこみあげてくる。
(おっかしー!ふ、腹筋が……。)
珊瑚は顔を背けて必死に声を殺して笑っていた。が…。
「……海藤。」
地の底より響くような低い声が後ろでした。珊瑚はぎくりと固まった後ゆっくり振り返るとやはり、零一がいた。
「どういうつもりだ?」
「氷室先生。」
今や珊瑚の顔は強ばり背中を冷や汗が流れていく。後ろで和奏が心配そうに自分を見ているのがわかる。珪も一緒にこの光景を見ていることだろう。
「どういうつもりでこんな成績を取ったのかと、聞いている。」
「えーと、あの……。」
まさかここで顔を合わすとは思ってもみなかったので、必死に応えを言い繕うとしたものの、
「努力無き者は、氷室学級には不要だ!君には補習授業に参加してもらう!」
と一刀両断の元、零一は去っていった。珊瑚は強ばった表情のまま声もなく零一を見送ることしか出来なかった。
(そ、そんなぁ……。)
覚悟はしていたが、直接言われるとやはり辛い。呆然とした様子で零一を見送っている珊瑚に和奏がそっと声を掛けた。
「とりあえず、今日は帰ろ?」
珊瑚をこれ以上刺激しないように気遣う和奏。そして苦笑しながら珪に目で挨拶すると、珪もわかったのか口を動かすだけで『がんばれ』と告げてくるりと背中を見せた。
「ほら、さぁちゃん、こんなところでいつまでもぼ〜っと立ってるわけにいかないでしょ?動く動く!」
なるべくいつもの調子で声を出し、珊瑚の手を取って下駄箱まで連れて行く。珊瑚は終始呆然としたまま和奏のなすがままに帰路に就いた。

ライン

珊瑚をなだめすかしてどうにかいつも通りになるまで元気づけ、ようやく帰宅した土曜日の夜。和奏は大慌てで明日の洋服をチェックしていた。もちろん、吾郎のコラムを一緒にチェックすることも忘れない。
「えっと… 今の流行はノースリーブのパーカー?葉月くんの好みじゃないからパス。と、流行色は黄色かぁ… じゃ、明日はミニのタイトスカートにしようっと。それから、アクセサリーは指輪… 指輪はもってないからま、いっか。」
机の上に洋服を並べて1人満足する和奏。珊瑚には悪いが、明日は楽しまなくては。
「やっぱり一応、デートだし… ね。」
自分の言葉に照れて赤くなりながら、ようやくベッドに入ったのだった。

(葉月くん、まだ来てないみたい……。)
翌日、和奏は待ち合わせの5分前に新はばたき駅に着いていた。一応探してみたが、珪はまだのようである。自分から誘っておいて待たせるのは嫌だったので、幾分(いくぶん)ほっとしながらキョロキョロと視線をさまよわせる。と、すぐに珪もやってきた。
「待たせたか?」
「ううん、わたしも今来たところだから!」
「……そうか。」
笑顔でそう告げると珪が一瞬目を細めて和奏のスカートに目を止めた。
「流行色だろ?それ、最近よく見る。」
「そうだよ。おかしいかな……?」
やっぱり吾郎のコラムをチェックしておいて正解だったと和奏は胸を撫で下ろす。なんて言ったって珪は現役のモデルなのだ。自分で流行の物を探したり、ということは性格上しないだろうが、仕事柄そういったことには敏感になるだろう。
「……いや、合ってる。おまえに。」
「ホント?ありがと。」
そんな珪からの褒め言葉に気をよくした和奏は笑顔を見せる。珪もつられて小さく微笑んだ。
「それじゃ、行くか。」
「うん!」
そして、臨海公園へと移動した。

今年の4月にオープンしたスポットだがなかなか静かでいいところだ。それまではただの海岸だったと聞く。
「風が気持ちよさそうだな。散歩でもするか。」
珪がそう言ったので、まだ新しい煉瓦道を2人で並んで歩き出した。海風が気持ちよく、波の音も心地よい。
「最近はこの辺、いろんな建物ができるんだな。」
遠くに見えた作りかけの高い建物に目を止めて珪が呟く。和奏もそちらへ視線をやって、ぽつりと呟いた。
「人工物ばかりじゃ、嫌になるよね。」
「賛成。緑は残すべきだと思う、昼寝する場所が減るから。」
思わず同意を得た和奏はびっくりして珪を見た。珪が和奏を見つめて穏やかに微笑んでいる。ドキッとした胸を押さえながら和奏はふと疑問に思ったことを口にした。
「昼寝する場所?」
「ああ。俺の趣味は昼寝だからな。」
平然とそう答えた珪に、そう言えば前にそんなこと言ってたっけ、と和奏は思いだした。
「なるほどね。緑の木陰でお昼寝か… 気持ちよさそうだね。」
穏やかな海を眺めながら木陰で風に吹かれ、波の音をBGMに昼寝をする… それを想像してそう言った和奏に珪も笑みを見せた。
「ああ!すごく気持ちいいんだ。おまえ、今度一緒に昼寝してみるか?」
「ちょ、ちょっと葉月くん… いくらなんでもそれはダメだよ。」
確かに気持ちいいだろうとは思うが、ここは外だし人通りも多い。さすがに年頃の女の子が無防備に横になるにはちょっとばかり場所が悪いだろう。そう思って口にした否定の言葉に、珪はごく真面目に尋ねた。
「なんだ、嫌なのか?」
言外にさっきは同意したくせに、という言葉が含まれている。和奏は慌てて言い繕った。
「わ、わたしだって一応女の子なんだよ。」
「それがどうかしたのか?」
本当に不思議そうに珪が首を捻(ひね)ってそう言うので、これは理解させるには骨が折れると踏んだ和奏は話を変えることにした。
「わ、話題を変えようよ。」
そういって空を見つめて何とか話題を絞り出した。
「んっと… そういえば入学式の時さ。」
「いきなり、話が飛ぶな。」
さすがに話が飛びすぎたのか珪が目を丸くしながら、でも素直に話題の転換に付き合ってくれた。それに安堵して、ずっと疑問に思っていたことだったが聞けずにいたことを聞いてみようと和奏は口を開いた。
「あのね、1人で入学式って言ってたけど、教会のところで何してたの?」
「教会のところで……。」
先ほど和奏がしたのと同じように空を見つめて考えたようだったが、すぐに
「……忘れた。」
あっさりとそう言われてしまった。実はずっと気になっていたのだ。あの時の珪が、実際には何をしていたのだろうかと。だが、珪の方は特に何かがあったというわけでもなかったようだ。
「そっか…。わたしね、あの教会がなんだかとても懐かしい気がするんだ。」
あれからしばらくして、入学式の日に見た夢をふと思い出したのだ。それからあの教会には何かがあると暇を見付けては行ってみるのだが、いつも扉は固く閉ざされていた。もしも珪があの教会について何かしら情報を持っているのなら、ぜひ教えて欲しいと思っていた。
「そうか……。どんな風に?」
「よくわからないけど、ずいぶん前に教会の夢を見て泣いちゃったんだ。」
さすがにちょっと恥ずかしくて俯いてそう言った和奏に、珪は心配そうな表情で口を開いた。
「悲しい夢……だったのか?」
「そうじゃないけど、あれは夢じゃなくて、昔の思い出かもって。」
「夢じゃなくて思い出……か。」
「もしかしたら学校の教会は夢で見たのと同じかもって。」
勢い込んでそこまで口にして珪を見ると、珪は少し視線を逸(そ)らして考えるように言葉を継いだ。
「あとはどんな事を覚えてるんだ?」
「男の子が出てきたような気がするんだけど、これはちょっと曖昧(あいまい)なんだ。」
「………まあ、いつか思い出す日が来るかもな。」
そこまで聞くと珪は微かに笑みを見せて、視線をこちらに戻した。和奏は残念そうに呟く。
「あの教会の中に入れたら思い出せるかもしれないのになあ。」
「あの教会のドアは壊れていて今は開かないらしい。」
「ん…みたいだね。残念だけど仕方ないな。」
そうして色んな話をしながら一日が過ぎていった。

「楽しかった、今日。……また呼べよ。」
陽が傾き待ち合わせていた新はばたき駅まで戻ってくると、珪が微笑と共にそう言ってくれた。和奏は嬉しくなって、
「ううん。こっちこそありがとう。ホントにまた、誘ってもいい?」
と聞いてみた。
「こういうのなら、悪くない。」
珪はそう言って目を細めると、
「じゃあ。」
と片手を上げて去っていった。
(葉月くん、楽しんでくれたみたいで良かった…。ホントにまた、誘っても良いよね?)
珪が消えた方向をいつまでも見送りながら和奏はしばらく佇(たたず)んでいた。

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