清 籠 -3-

補習授業が始まった。三大科目が赤点の珊瑚、和馬、まどかは一週間みっちり補修がある。その他にも一、二大科目が赤点の者は、その大科目だけの一日補習があった。今日は語学の大科目の補習である。語学には国語と英語とが含まれる。
「うーん… やっぱり英語の単語力の無さが足を引っ張ってるな…。」
辞書と首っ引きでテスト問題を解いていく。和馬やまどかは早々に匙(さじ)を投げて机にへばっていた。
「珊瑚ちゃん… そんなんマジメにやったって今更どうしようもないで。」
「そうそう!こんなのは捨てるに限るぜ!」
「……あんたたち補修コンビと一緒にして欲しくないんだけど。」
耳を貸す余地など無いと言った感じで珊瑚は黙々と問題を解いていく。渋々ながら問題を眺めたまどかがまた匙(さじ)を投げた。
「かーっ!さっぱりわからん!何で世の中に英語っちゅう訳のわからん言葉があんねん… 日本人やねんから日本語だけでええやんか。」
文句だけは一人前である。隣で和馬もそうだそうだと頷(うなず)いている。珊瑚はオーバーにため息をつくと、2人に向き直った。
「あ・の・ねぇ…!ここにはあんた達みたいなのばっかりじゃなくって、真面目に勉強してる子もいるの!ちょっとは静かにしなさい!それに大体、英語だけじゃなくて国語もダメなんじゃなかったけ?」
「……おー、こわ。珊瑚ちゃん、怒ったら怖いねんから…。ツッコミどころも的確やし。」
まどかがオーバーに肩を竦(すく)めてそう言う。和馬は完全に知らん顔だ。問題を見た形跡もない。
「姫条はともかく、鈴鹿!」
「な、なんだよ… 俺は黙ってるじゃねーか。」
「早くクラブに復帰したいならさっさと問題終わらせなさいよ!」
「ちぇっ、先生みたいなこと言うなよな…。」
「それじゃ、私はお先に。」
和奏は答案用紙をまとめるとそそくさと帰り支度を始めた。途端にまどかと和馬が慌て出す。
「ちょ、マジかよ…。」
「珊瑚ちゃーん、見せてもらえると嬉しいなぁ…。」
「散々邪魔した2人に少しの温情もございません。自力で頑張るコトね。じゃねん。」
そう言って、監督官の先生に答案用紙を渡すと振り返りもせずに去っていった。
「珊瑚ちゃん… 殺生やわ…。」
まどかの嘆きが追いかけてきたが黙殺した。

補修の後は、和奏の家へ直行する。そうして、一学期の間に遅れた分を取り戻そうと珊瑚は躍起(やっき)になっていた。このままでは吹奏楽部自体を追い出されてしまう。そうなってはフルートどころではないのだ。あまりにも急いでいたせいで前から来る人を避(よ)けきれず、また、その人も避(よ)けようともしなかったせいで思いっきり肩がぶつかった。
「きゃあ!」
「あ、あ……。」
「いたた……。」
相手が男の子だったからなのか、当たった肩がかなり痛い。でも、自分にも非があるかと謝ろうと顔を上げたところで、
「………………。」
その男の子は視線を逸(そ)らすと慌てて去っていった。呆然と見送った珊瑚だったが、少しすると腹立たしくなった。
「……なに?“ごめんなさい”って一言ぐらい謝ってもいいじゃない。」
肩をさすりながら過ぎ去った影を睨(にら)み付けたところで今更どうしようもない。
「……行こ。」
そうして気を取り直すと、和奏の家に急いだ。

「こんにちはー。お邪魔しまーす。」
「いらっしゃ〜い。玄関、鍵締めて2階上がってきて〜。」
「りょーかいっと。」
今日は尽もまだらしい。和奏の母親は買い物だろうか?色々考えながら和奏の部屋へと入ると和奏が笑顔で迎えてくれた。どうやら手芸部の課題をしていた途中らしい。広げていた生地を手に抱えて立っている。
「お帰り。思ったより早かったね。」
「散々姫条と鈴鹿に邪魔されたけどね。」
「そかそか。何か飲む?」
「うん… 今日はお茶がいい。」
「OK。ちょっと待ってね。」
持っていた生地を机の上に置くと、和奏は階下へ降りていった。ふと見ると何かをチェックしていたようで、パソコンが立ち上がっていた。覗(のぞ)いてみるとアルバイト募集のメールのようだ。
「へぇー… 喫茶店に花屋、雑貨屋と… 結構来てるなぁ…。」
そう言えば最近メールチェックもしてないな、と今更ながらに気付いて珊瑚は自分で自分に苦笑した。すぐに和奏が戻ってくる。
「お待たせ!」
「あ、ありがと。ね、わぁちゃん。もうバイト決めたの?」
冷たい麦茶の入ったコップを受け取りながら聞くと、和奏は頷(うなず)いた。
「有沢さんがいるし、花屋も良いかなと思ったんだけど、結局喫茶店にしようかと思ってる。」
「へぇー… またなんで?」
「……美味(おい)しいお茶が淹(い)れられるようになると良いなと思って。」
「ふうん?」
─そう言えば、和奏ってコーヒーより紅茶派だったっけ?─ そう思って視線を巡らせると麦茶を一口飲んだ。
「ね、いつから?バイト。」
「夏休みに入ったらすぐに出来たらなぁって。週末に電話してみないとわからないけどね。」
「そっかー。良さそうだったら、私も紹介してね。」
「うん、もちろん!」
麦茶を飲み干しコップを返すと珊瑚は鞄の中からこの間の期末テストの問題を取りだした。
「明日は一番の難関の数学なんだ。」

ライン

静かな教室に文字を書く音だけが響いている。さすがに零一の補修とあってはまどかも和馬も真面目に取り組んでいるようだ。珊瑚も昨日和奏から教わったノートを取りだして問題に取り組む。
(んー… やっぱり昨日、わぁちゃんに聞いといて良かった。でなかったらさっぱりわかんないところだわ。)
心の中で和奏に感謝しながら問題を解いていく。ふと気付けば、まどかや和馬は途中で撃沈したようですっかり熟睡していた。
(このコ達大丈夫かな?)
苦笑しながら最後の問題を解き終わった。
(ふぅ…… やっとできたぁ……。)
記入漏れがないかチェックするとそっと席を立つ。
「氷室先生、終りました!」
そう声を掛けて近づくが、零一はびくともしない。不思議に思って顔を覗(のぞ)き込んでみると…。
「……氷室先生? ……あ!」
(眠っちゃったんだ……。)
零一は自分のノートを広げたまま、頬杖(ほおづえ)を着いて熟睡していた。珊瑚は目を丸くして、起こそうと手を伸ばすが途中でやめた。
(氷室先生の寝顔をじっくり見られるなんて、貴重かも……。…あ、氷室先生、意外と睫毛長い。発見、発見……。)
珊瑚は零一の顔がよく見えるようにすぐ後ろの席に座って零一の横顔を眺める。
(……不思議だな、こうして見ていると、そんなに怖い先生には見えないんだけどな……。)
実際零一は整った顔をしている。それが怖さに拍車をかけている部分もあるにせよ、見とれるほど端整な顔立ちだ。
(それにしても……よく眠ってるな、疲れているのかな……。そうだよね……。)
何故だか零一に対して急に申し訳ない気持ちで一杯になってしまった。
(……テストを作って、採点して、点が悪かった生徒の補習にまで付き合って……。氷室先生、ごめんなさい……。)
そっと心の中で謝り、まだ起きないのをいいことに飽きずに眺め続ける。
(……………………。なんだか私も眠くなってきちゃった……。)
そう思ったのを最後に珊瑚の意識はなくなった。

「……そろそろ起きなさい。風邪をひくぞ。」
穏やかな零一の声にはっと気付けばもうすっかりみんな帰った後だった。ばつが悪くなって珊瑚は顔を紅潮させる。
「……氷室先生。」
「よく眠っていたな。」
怒られるかと思ったが、先ほどと変わりない穏やかな声でそう言われて珊瑚は笑みを戻した。
「すみません、つい……。あ、でも氷室先生だって寝てましたよ?」
「私がか?気のせいじゃないのか?」
「絶対眠ってました!」
「そうか……。」
そのまま穏やかな笑みを見せられて、珊瑚は何故だかドキドキと胸が高鳴るのを感じていた。そんなことには気付きもしないで、零一が促す。
「さぁ、家まで送って行こう。お互い、今日はぐっすり眠るんだ。」
「はい!」
そして、零一の車で家まで送ってもらった後、珊瑚は車が角を曲がるまで見送り家の中へと入っていった。今日のように穏やかな零一なら、もっと親しみやすいのにな… と思う。
(それに、優しい笑顔はあの葉月も顔負けのかっこよさだった…。)
と思った自分に、ぷるぷると首を横に振って発破を掛ける。
「とりあえず、今は先生の信頼を回復しなきゃ!」
珊瑚の瞳には強い意志の光が宿っていた。

end.

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