光 彩 -2-

帰り道、なんとなく気になって和奏は珊瑚に尋ねてみた。
「ねぇ、さぁちゃんは三原くんと会ったことある?」
「ん?三原って三原 色のこと?」
「うん。」
うーんと、少し空を仰いでから和奏に視線を戻し、
「一応あると言えばある、かな?」
と曖昧(あいまい)な返事をした。和奏はちらりとも見たことがなかったので、勢い込んで聞いてみた。
「あ、そうなんだ?どんな人?」
「変人。」
「へ!?」
目をぱちくりさせる和奏に爆笑する珊瑚。からかわれたのかとむっとした表情を見せると、
「ごめんごめん…でも、間違ってはないよ?」
とまだ笑いながらもちゃんと謝罪をする。瑞希の賛辞しか聞いたことがなかった和奏はちょっと眉を寄せて口を開いた。
「でも、変人って…。」
「うん、ちょっとね、独特な雰囲気を持ったコだからさ。」
「そなんだ…。」
「うんうん、やっぱり天才と呼ばれる人間は違うねぇー。」
この一言で今日の話題は色の噂話に決まった。

瑞希の賛辞を浴びるように聞かされていた和奏に、珊瑚が適切な訂正を挟みながら色の話で盛り上がり児童公園に差し掛かったときだった。
「あ!ヤベ!!」
突然そんな声がして、振り向いた珊瑚の顔面にバスケットボールが飛んできた。
「……わっ!?」
「キャー!さ、さぁちゃん!大丈夫???」
まともに左頬でボールを受けた珊瑚はその場にうずくまり、和奏がそのボールを受け止めて珊瑚の横にしゃがみ込む。と、
「お、おい、大丈夫かよ?」
と慌てた様子で男の子が公園から走り出てきた。
「アイタタ……うん、どうにか。……バスケットボール?」
「うん、思いっきりほっぺたに当たったよ?」
和奏の言葉に男の子は視線を逸(そ)らして言った。
「あぁ、俺、ガキども相手に、ついマジでパス出しちまって……。」
「私も、ちょっとよそ見してたから……。って、やっぱり鈴鹿じゃない。」
バスケットボール、と聞いてもしかしたらと思ったら案の定だった。彼の方も見知った顔にちょっと驚いた様子をみせた。そして、
「お?海藤?じゃ、まあ、お互いさまってことで。」
と悪びれずに言った言葉に、
「……え?」
と和奏が絶句すると、彼 ─ 和馬は微かに笑みを見せた。
「ウッソだよ。」
「あ、ひどい!」
「ハハ!じゃ、また。俺、ガキども待たせてるから。」
と和奏が持っていたボールを受け取ると、珊瑚に向き直って、
「じゃあな、海藤。帰ったら顔、冷やしとけよ。ボーッとすんな!」
と言うとドリブルをしながらさっさと公園の中に戻ってしまった。
「……まったく、相変わらずバスケ馬鹿なんだから……。」
「え?」
なんだかよくわからなかった和奏は、珊瑚の言葉に視線を戻す。珊瑚は落ち着いて立ち上がると痛そうに顔を顰(しか)めながら説明をした。
「鈴鹿 和馬って言うの。あいつ、中等部の時からそうなのよ。バスケ一筋で他のことは何にも見えないんだから…。」
「そうなんだ…。」
「ちょっとは勉強もしろっての。アイタタ…。」
「さ、さぁちゃん、早く帰って冷やした方がいいよ。」
「そだね。帰ろっか。」
家に帰り着いた後、和馬の助言に従ってまる一晩冷やしたおかげで珊瑚の頬(ほほ)の腫れは翌日にはすっかり引いていた。

ライン

今日も和奏は屋上にいた。手芸部の活動は比較的緩やかで課題さえ期限までに仕上げてしまえば、毎日部室に顔を出す必要はない。それもあって、ここのところは美術の課題に掛かりきりになっているのだ。理由はもう一つある。
「夕方のこの景色が一番いいのよね…。」
夕暮れのオレンジ色の光に照らされたはばたき市の様子はため息が出るほど美しかった。この刹那(せつな)の色を描(か)き止めるためにはどうしても放課後のこの時間しかないのだ。赤と黄と白とを絶妙なバランスでカンバスに乗せていく。と、
「いいね……なかなかいい色使いだ。キミの名前は?」
声に振り返ると、穏やかな笑みを浮かべた男の子が和奏のカンバスを眺めていた。
「え?えっと……如月 和奏。」
「なるほど、如月くん。キミはどうやら、美というものを解する人みたいだ。誇るべきだよ。 たとえばボクのことをより美しいと、感じられるのだから……。」
と婉然(えんぜん)とした笑みをたたえて和奏を見つめる。和奏はちょっと気後れしながら、
「あ、あのぉ…… あなたは……?」
と尋ねてみた。すると、あっといった風に表情が変わり、
「驚かせちゃったね?そう、ボクがあの三原 色。……大丈夫、これは夢じゃない。」
と彼 ─ 色は和奏に再度微笑みかけた。
「人見知りな性格だから自己紹介なんて苦手だけど、しいて言うなら美の申し子だね。」
「あ、はばたき学園が誇る少年天才芸術家っていうあの……。」
確かに珊瑚が言ったとおり一風変わってるみたい…と思いながらそう聞いてみると、すっと眉を寄せて
「みんなボクをそう呼ぶけれど、そうじゃない、それは違う……。」
と首を振りながら呟いた。そしてまた和奏を見ると、
「ボク自身が芸術なんだ……そういうことなんだ。」
と言い切った。
「………………。」
「……だからそんなに引け目を感じなくていい。仲よくしよう、如月くん。」
あっけにとられている和奏に微笑を向けながら、色は和奏の手を取り握手をした。
「さて、ボクはアトリエにもどろう。気まぐれな芸術の女神と待ち合わせをしているからね。」
そう言って、軽く片手を上げて階段へと続く扉の中に消えていった。
(あれが三原くんか……初めてみちゃった。須藤さんに話したら羨ましがるだろうなぁ…でも、邪魔されるのも困るしなぁ…。)
瑞希に話すかどうか悩んでいるうちに最終下校時刻になったらしい。チャイムの音に慌てて片づけ、部活に出ている珊瑚との待ち合わせ場所に向かう和奏だった。

「エー!あの三原 色に褒められた???」
事の顛末(てんまつ)を話して聞かせると珊瑚は想像以上に驚いた顔をした。そんなにすごいことなのだろうかと首を傾(かし)げる和奏に、
「あんた…あの三原に褒められたんだからもうちょっと嬉しそうな顔しなさいって。」
と珊瑚は苦笑した。
「うん…町のあちこちにある像や美術館の絵画が三原くんの作品なのは知ってるんだけど…。 なんか実感わかないって言うか…ホントに彼が有名な三原 色なのかなぁって疑問もあって…。」
「この学園で三原 色だって名乗れるのは本人だけだよ。」
アハハと笑いながらそう返すと、校門のところで零一の姿を見つけた。
「氷室先生!!」
「海藤。と、如月か。どうした、何か用か?」
「よかったら一緒に帰りませんか?」
ぎょっとなった和奏は放っておいてそう声をかけてみると、零一はほんの少し思案した後、
「問題ない。君たちの家は私の岐路にある。来なさい。」
とあっさりと承諾して歩き出した。
「やっりぃー♪」
「さ、さぁちゃん、いいの… かなぁ?」
「大丈夫大丈夫。今日は車で帰れるよー。」
心配そうな和奏の手を引いて珊瑚は零一の後を着いていく。着いた先には零一自慢の愛車が停まっていた。
「乗りなさい。二人ともシートベルトはしっかり締めるように。」
「はいっ!ありがとうございます。」
「お邪魔します…。」
「よろしい。出発する。」
こうして2人は思いがけず零一の車で家まで送ってもらえることとなった。

「それにしても、今日はずいぶん練習が長引いたな……。」
和奏を先に降ろした後、零一の勧めもあって珊瑚は助手席に座り直していた。
「今日の練習はハードでしたね。楽器の吹きすぎで唇が痛いです。」
この頃随分零一にうち解けてきた珊瑚は唇を手で押さえながら苦笑してそう答えた。
「夏合宿の練習は、こんな事では済まされないぞ。覚悟しておくように。」
幾分嬉しそうな笑みを覗(のぞ)かせて零一がそう言いきる。珊瑚はその笑みに空恐ろしいものを感じて、内心冷や汗を流した。
(そういえば、恐怖の夏合宿とか言ってたっけ。ああ、なんだか不安だな。)
「合宿の練習プランはすでに出来上がっている。」
「え、もうですか?ちなみにそのプランっていうのは?」
零一らしいと言えばらしい言葉に、でもやっぱり驚いた珊瑚は興味本位で尋ねてみる。すると、運動部も真っ青なプランが零一の口から次々発せられた。
「グラウンドをランニングの後、筋トレを3セット。その後、パート練習、更に……。」
「うわー。なんだか、考えただけでめまいがしてきちゃったよー。」
内心頭を抱えて引きつった笑みをみせる珊瑚に、零一は訝(いぶか)しげに視線を寄越す。
「何か言ったか?」
「いいえ!何にも!」
慌てて表情を取り繕って笑顔をみせると、零一はすぐに視線を前方へ戻した。ほっとしたのも束の間、更に珊瑚には痛い追い打ちを掛けられる。
「……それにしても、今日の演奏は全くなっていなかった。」
「うう。それは。」
「リズム、ハーモニー、メロディー、いずれも褒めるところなしだ。」
自分でもわかっているので反論のしようがない、だがしかし、これだけは言えると零一の方を向いて力説した。
「でも、あの曲は難易度が高くて大変なんですよ。」
「なに?」
眉間にしわを寄せられたところでこれだけは事実である。頷(うなず)きながら珊瑚はもう一度同じ言葉を繰り返す。
「先生がセレクトする曲は難しいです。」
「易しい楽曲を選んでいては技術の向上は望めない。それでは意味がない。」
そこまで言われては何も言い返すことは出来ない。珊瑚は渋々自分の不足を認めた。
「す、すみません。日頃の練習不足です。」
「わかればよろしい。君のフルートの音色はまだまだ未熟だ。」
「はい。もっと頑張ります。」
零一は向上心のある生徒が大好きである。生徒達皆が発展途上なのは当たり前。だが、可能性は大きいのだといつも言っている。その可能性をどこまでも広げていき、また叶えるのが自分の仕事なのだと信じている。
「夏の合宿では私の個人指導を取り入れようと思う。」
「えー!こ、個人指導ですか?」
しかも、これと思った生徒には容赦なく厳しく指導に当たる。これも彼なりの思いやりの現れなのだろう。そうとはわかっていても、やっぱり不安は隠せないものなのだが。
「えーではない。特訓に特訓を重ね、文化祭までに少しでも完全な演奏を目指すべきだ。」
「は、はい。そ、そうですね。」
「はばたき学園吹奏楽部、夏の陣だ。」
フフフと不気味な笑みを浮かべる零一の横顔にはなんだか不吉なものを感じる…だが、あえて珊瑚は口には出さずに頷(うなず)くに留めた。
(夏の陣、か。夏合宿は大変な事になりそうだなあ。)

ライン



Copyright © TEBE All Rights Reserved.