夢 先 -2-

時は遡(さかのぼ)って一週間前の日曜日。珊瑚はフルートを携えて、音楽室で練習しているという吹奏楽部へと向かっていた。和奏は途中で瑞希にテニスコートの方へと連れられてしまったので1人である。
「ま、しょうがないよね。わぁちゃんは吹奏楽は聴く方専門だし。」
音感は良いのだが手が小さい分どうしても楽器を奏でるとなると不利になり、今一つ上達しないのである。自分で演奏することを早々に諦めた和奏は、それでも電話越しながら珊瑚の演奏をいつも楽しそうに聴いてくれていた。それがわかっているから今更吹奏楽部に一緒に、なんて誘えない。それよりももっともっと上手くなって素敵な演奏を聴かせる方がよっぽど和奏は喜んでくれる。
「…でも、結構はば学の吹奏楽部って厳しいので有名なのよね… 私、付いていけるかな?」
ちょっと気弱になりながら、それでも音楽室へとやってきた珊瑚は思い切ってドアをノックした。
「はい… あら?見学の方?」
バイオリンを持ったメガネの奥には優しそうな瞳の少女。珊瑚は少しほっとして、口を開いた。
「はい!…と言うよりも、ほぼ入部希望なんですけど。」
「そう。どうぞ、中へ入って。これから演奏が始まるから。」
「失礼します!」
ぺこりと頭を下げて中に入ると、男子も女子もそれぞれ自分の楽器のチューニングをしているところだった。自分と同じ見学者らしい1年生の姿も見える。珊瑚はその中の一つの席に腰掛け、演奏が始まるのを待った。

演奏された曲はヴィヴァルディ『四季』より「春」だった。ある意味もっとも聞き慣れた曲であり自身で演奏したこともある珊瑚であったが、これほど鳥肌が立つような感動を覚えたのは久しぶりだった。先ほど付いていけるかどうかと心配していたことなどどこへやら。珊瑚は自分のフルートがこの中に混じってどんな音になるのかわくわくしてきた。
「今週一週間は仮入部期間ですが、今からでも入部希望は受け付けております。希望者は用紙に必要事項を記入して提出してください。」
先ほどのメガネの女性 ─どうやら副部長らしい─ が用紙を手に説明をする。珊瑚は迷わず用紙をもらい、すぐにその場で記入して部長へと手渡した。
「1年A組、海藤 珊瑚です。フルートを習っています。よろしくお願い致します。」
しっかりと目を見て挨拶し頭を下げる。先ほどトランペットを吹いていた穏やかな表情の男性が部長だった。
「フルートか。ちょうど去年、先輩が卒業しちゃって数が足りなかったんだよね。助かるよ。こちらこそよろしくね。」
「はいっ!頑張りますっ!」
「それから毎週第三日曜日は全体練習日だから絶対に休まないように。」
「わかりました。明日からよろしくお願い致します。」
ぺこりと頭を下げて音楽室を出るとほっと一息ついた。そこへ規則正しい足音が近づく。珊瑚が顔を上げたのと、その足音が立ち止まったのは同時だった。
「海藤。」
「あ、氷室先生。」
「部屋の入り口で立ち止まって何をしている?」
音楽室と書かれたプレートを確認してから零一が訪ねた。珊瑚は内心、 ─大変なところで捕まっちゃったな…─ と思ったのだが、そんなことはおくびにも出さずににっこり笑って答えた。
「私、吹奏楽部に入部しました。」
「なるほど…。この部の顧問は私だ。」
「えぇ!?そうなんですか……。」
(担任も、顧問も氷室先生なんて…。)
内心冷や汗を流しながら愛想笑いを貼り付ける珊瑚。その微妙な表情の変化に気付いたのか、零一は少しむっとした表情で口を開く。
「……どうした?何か不満か?」
「い、いえ……。先生が顧問だったのなら心強いです!」
慌てて弁明を試みる。だが、内心はさらなる冷や汗。
「よろしい。我が吹奏楽部は、完全な調和(ハーモニー)を目指している。生半可な心構えではすぐに脱落する。」
「はい。」
「……かといって、勉強がおろそかになるようなら、即刻、部を去ってもらう。」
「はい。」
「海藤……。私について来るか?」
「はい!」
(こうなったらとことんまで付いていくわよ!)
「よろしい。吹奏楽部は君を歓迎する。」
そう言い残して、零一は今し方珊瑚が出てきた音楽室に入っていった。いくら顧問の先生が苦手だと言っても、大好きなフルートには変えられない。それに顧問をしているぐらいなら、先生も音楽が好きなのだろう。音楽が好きな人に悪い人はいないと信じている珊瑚である。なんだか今のやりとりで、すっかり零一への印象が変わっているようであった。

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「はぁ〜… 緊張するなぁ…。」
「何言ってるの!昨日、様子見てきたんでしょ?」
「……それはそうだけど…。」
「私の時なんかよりずっといいよ…。」
イヤそうな顔で天を仰ぎ見て、一週間前のやりとりを思い出す。あの時は、たしかに零一への印象が変わったはずだったのだが…。
「さぁちゃん、そう言えば顧問の先生も氷室先生なんだってね。」
「……わぁちゃん、それを言わないで。」
くすくすと笑いながら珊瑚のげんなりした表情を見ている和奏。珊瑚も苦笑してフルートの入った鞄を示した。
「ま、フルートには変えられないのよね。顧問の先生が誰でも頑張るしかないわ。」
「さぁちゃんのフルートは素敵だもの。きっと氷室先生もすぐに気に入ってくださるよ。」
「……だと良いんだけどね。今のところ、怒られてばっかり。」
珊瑚がまたもや眉を寄せていると、もう下駄箱に着いてしまった。ここで別れるので、和奏はくすくす笑いながら立ち止まった。
「さぁちゃんったら…。」
「ま、今日もしごかれてくるわー。わぁちゃんも頑張って。」
「ありがとう。さぁちゃんも身体を壊さない程度に頑張ってね。」
「じゃぁねー♪」
手を振りながら左右に分かれ、それぞれの部室へと向かう2人。和奏は角を曲がるところで振り返ると、真っ直ぐ伸びた珊瑚の背中を見送ってから歩を進めた。

「…1年B組、如月 和奏さん、ね。」
「はい。よろしくお願い致します。」
「よりよいクラブ活動が出来るように頑張ってくださいね。」
ロングヘアの優しげな女性が部長であった。顧問の先生は特にはいないらしい。不思議な部活もあるものだと思いながら、別の先輩の指導を受けてミシンの扱い方から学んでいく。最初の課題はトートバッグを作ること、であった。
「提出日はゴールデンウィーク明けとしますので、それまでに仕上げてくださいね。部室はいつでも自由に使って頂いて構いません。」
鍵の場所等簡単な部室内の説明が終わった後、手芸部は自動解散となった。
「さぁちゃんはまだ終わってないよね… しょうがないから1人で帰ろっと。」

一方こちらは音楽室へ到着した珊瑚。手早くフルートを組み立てて、音の調子を見ながら簡単な練習曲をおさらいする。
「今日で入部受付が終了しますので、当面の課題曲を配布しておきます。各自来週の全体練習日までにさらえておいてください。」
受け取った楽譜はブラームスの『ハンガリー舞曲第五番』。これももちろん珊瑚は演奏経験ありであったが、しっかりと楽譜をチェックする。
(ところどころに入っているアレンジは誰のものだろう?…まさか、氷室先生ってことは…。)
全員が一通り楽譜に目を通したのを確認すると、零一は静かに立ち上がって口を開いた。
「最初の課題曲と言うことで、今渡した楽譜は難易度を下げて編曲してある。来週の全体練習で新入部員の実力のほどを見せてもらい、適正な楽器に振り分けたいと思う。が、まずは自身が持っている楽器で練習してくるように。」
(うわっ… ホントに氷室先生の編曲だったよ…。)
しかし、確かに珊瑚がいつもとちっていた難しい箇所が編曲されている。そこさえ無ければ後は完璧に近い演奏が出来る自負のある珊瑚は少しほっとして、練習を始めるのだった。

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