桜 川 -2-

「 ─── さあ皆さん、このはばたき学園で大いに学び、笑い、悩んでください。そして3年後。学園をはばたいていく日を笑顔で迎えようではありませんか!」
和奏は小さいがためによく見えなかったのだがどうやら理事長らしき人の挨拶だったようだ。明朗且つ簡潔な挨拶が終わると、回りは皆、三々五々自分の教室へと向かい始めていた。そんな中、珊瑚はようやく和奏の姿を見つけると少し怒ったような表情で腕を引っ張った。
「っ …あ、さぁちゃん。」
「『あ、さぁちゃん』じゃないわよ、まったく!遅れるんじゃないかと冷や冷やしてたんだからね!」
「あは… ごめぇん…。」
ぺろっと小さく舌を出して苦笑すると、それでも素直に頭を下げる和奏。珊瑚も少し表情を緩めて掴んでいた腕を放し、並んで歩き出した。少し遅れて志穂が2人の邪魔にならないように付いてくる。
「で?どこ行ってたの?」
「えっとね… 校舎の裏手に回ってみたら古い教会が見つかったの…。」
「教会…?」
「あぁ、あの教会ね。扉、閉まってたでしょ?」
不思議そうな顔をして振り返った珊瑚に変わって、後ろで2人の会話を聞いていた志穂が口を挟む。
「うん、そうなの…。あそこっていつも閉まってるの?」
「えぇ… 。少なくとも私は開いてるのを見たこともないし、開いていたと誰かが話してるのを聞いたこともないわ。」
「そうなのか… 残念…。」
「で?その教会、閉まってたんなら、そんなに遅くなるはずないでしょ?」
珊瑚は教会のことは知らなかったらしく、あくまで和奏が遅かった原因を追及しようと言う構えだ。それには答えずに、和奏は2人に聞いてみることにした。
「あのね、2人は同じ1年の葉月くんって知ってる?」
「葉月って…… 葉月 珪のこと?あなた知らないの?…って、この間引っ越してきたばかりだったわね。 中等部がここじゃないなら知らなくても当然か。」
「この学園じゃ知らない人がいないぐらいの有名人だよ。成績は常にトップだし、スポーツは運動部でも適わないし。」
「その上最近ではモデルもやっているわね……。」
志穂と珊瑚が代わる代わる説明してくれる。その話を聞いて少しびっくりしたものの、あの容貌とスタイルなら当然かなと言う結論に達し、和奏は頷(うなず)いた。
「へぇ〜……、どうりでカッコイイと思った。じゃあ、きっと人気あるんだろうね。」
「人気っていうより…… どっちかって言うと、みんな怖がってると思うけど。」
「怖がる?どうして?」
「私はあまり、興味ないから詳しくは知らないけど、かなり冷たい人らしいわ。」
「確かに、あんまり友達と一緒にいるところって見ないよね。」
そこまで話したところで教室の前に着いた。和奏はここの、珊瑚と志穂はもう一つ奥の教室になっている。
「それじゃ、帰りに門のところで待ってるね♪」
「如月さん、また。」
2人は連れ立って隣の教室へ入っていった。和奏は先ほどの2人の話を腑(ふ)に落ちない表情で思い返す。
(そんなふうには思えなかったけど……。立ち上がるの手伝ってくれたし。)
とりあえずそのことは頭の隅に追いやり入り口の前で一つ深呼吸をすると、すっと表情を引き締めて教室へ入っていく和奏だった。

ライン

黒板に書かれている席順を確認して、珊瑚と志穂は一旦別れて席に着く。2人とも背は高いのだが五十音順では前の方になるため、初めの席順は一番前になる確率が高い。
「これじゃ、後ろのコ見えないよねー。」
そっと後ろを伺ってみるとやはり自分より背の低い子が多いようである。内心ため息をつくと、前に向き直った。
(ま、いつものことだし。それより担任の先生ってどんな人だろ?優しい先生だといいな♪)
等々と暢気(のんき)に考えていたところで入り口に人影が指した。
「あっ、来た!」
誰かが小さく呟いた声が聞こえたときにはすでにその人は教卓に着いており、ぐるりと室内を一瞥(いちべつ)するとおもむろに口を開いた。
「私が君達を担任する。氷室 零一だ。私のクラスの生徒には、常に節度を守り、勤勉であるように心がけてもらいたい。 ─── 以上だ。質問がある者は?」
後ろの方で女の子の声が挙がった。
「はーい、質問。先生、恋人はいますか?」
その質問の意味を理解すると、零一はたちまちむっとした表情になり
「たった今、節度を守るよう言ったはずだ。」
と冷たく言い放った。スミマセン… と小さな声で謝りその女の子が座り直す。
「他には?」
じろりとまた室内を見渡す零一。珊瑚が内心 ─なんだか、怖そうな先生だな……─ などと考えていると、零一の視線が自分の上で止まったのに気付いた。怖々とでもさりげない様子を装って姿勢を正す。が、その甲斐もなく指示棒で指されてしまった。
「……ん?君……、海藤。」
「ハ、ハイ!!」
「スカーフが曲がっている。直したまえ。」
「え?あ、はいっ……。」
慌ててスカーフを直そうとするが、うまく手が動いてくれない。どうにかそれなりに直ったところで零一が一つ頷(うなず)いた。
「……よろしい。では、質問もないようなので今日はこれで解散とする。明日から高校生としての自覚を持って行動するように。以上。」
その声が合図だったように全員が立ち上がって礼をする。零一が教室を出ていったところでやっとざわめきが戻ってきた。
「珊瑚さん、いきなり目をかけて頂いたのね。」
志穂が鞄を片手に珊瑚の席までやってくる。珊瑚は少しぐったりした様子で返事をした。
「へ?あれ、別にただ注意されただけだよ?それにしても…… なんだかスゴイ先生に当たっちゃったなぁ……。」
「そう?生徒への教育に熱心な素晴らしい先生だと聞いてるけど。」
「そ、そうかな…?」
「ええ。そう言えば如月さんと待ち合わせ、してるんでしょ?そろそろ行きましょう。」
「あ、待って!」
珊瑚は慌てて鞄を持つと志穂に続いて教室を後にした。

一方和奏は、自分が待っている校門の横へ黒塗りのリムジンが音もなく停まるのをあっけにとられて見ていた。
(わぁ〜、リムジンだよ〜。…お客様の車かなぁ……。)
失礼にならないようにそっとリムジンを伺っていると、真後ろで少し甲高い声が響いた。
「まったく、ギャリソンたら……。歩いて通えるって言ってるのに。」
びっくりして振り返った先にはウェーブのかかった髪を靡(なび)かせて腕を組んで立っている少女がいた。
「ねぇ、もしかして、あの車、あなたの送迎用…?」
初対面なのも忘れて思わず問い返すと、組んでいた腕を解き右手を腰にあててその少女は当たり前のように頷(うなず)いた。
「Oui -えぇ- 、なにかご不満?」
「……ううん、べつに……。ただ、ちょっと驚いちゃって……。」
「……言っておきますけどねぇ、中学の頃は門から教室まで赤い絨毯だったんだから!」
「赤い絨毯って…… あの、どこかのお嬢さま?」
赤い絨毯、とまで聞いて思い至った事はただ一つ。恐る恐る訪ねて見ると少女は目を丸くして言い放った。
「……まさか、ミズキを知らないの!? 呆れた人!」
「……あ、わたし、如月 和奏… この間引っ越してきたばかりで……。」
「ふ〜ん…… だからミズキを知らないのね。じゃ、教えてあげる。」
和奏が今日初めてこの学園に足を踏み入れたのだとわかると、少女の態度は軟化した。
「須藤 瑞希、1年よ。この学園の étoile -あこがれのまと- なの。……スターって意味だけど。」
「そ、そうなんだ…… よろしくね。」
少しほっとして微笑みかけると少女 ─── 瑞希は気をよくしたようで微かに笑みを見せた。
「なにか質問は?」
「あ、ねぇ、じゃあ同じ1年の葉月くんって知ってる?」
珊瑚や志穂とはまた違ったコトが聞けるかもしれない… そう思って聞いてみた答えは、しかし、変わらないモノだった。
「知ってるわよ。葉月 珪でしょ?有名だもん。ミズキの次くらいに。勉強もスポーツもできる上に、最近はモデルもやってるらしいけど。でも、ミズキみたいに誰からも好かれてるわけじゃないみたい。……性格に問題あるのかもね?」
内心がっかりしたのは押し隠して話を聞いてると、リムジンのドアが開く音がして初老の男性が姿を見せ、恭しく頭を下げた。
「お嬢様。そろそろお時間のようでございます。」
「もう、わかってる!じゃ、わたしはこれで。A bientôt -じゃあね- 、如月さん。」
「うん、またね。」
瑞希は和奏に向かって軽く手を挙げると男性が支えるドアからリムジンに乗り込んだ。男性はそっとドアを閉めた後、和奏に向き直りもう一度頭を下げ、嬉しそうに口を開いた。
「どうやら瑞希様は、あなた様を大変気に入られたようでございます。」
「え、ええと…… あなたは?」
まさか自分に声がかけられるとは思ってなかったのでびっくりして問うと、男性は慌ててまた頭を下げた。
「これは申し遅れました!私は瑞希様の執事でございます。ギャリソン伊藤とご承知おきを。」
「はぁ… あの、如月 和奏、です。よろしくお願いします。」
つられて和奏も頭を下げる。その様子を見て執事は柔らかい笑みを返した。
「和奏様、これからもご学友として仲よくして差し上げてください。それでは、失礼いたします。」
「は、はい…… 失礼します……。」
最後にもう一礼した後、執事は車を回り助手席に乗り込むと音もなくリムジンは走り出した。何が起こったのかまだ夢見心地ながら和奏はリムジンを見送っていた。
(ご学友…… あんなお嬢様も同級生なんだぁ……。)
ぼーっとしているところに、珊瑚と志穂が現れた。予備校の入学式に行くという志穂とはそこで別れ、2人連れ立って帰路に就いた。

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