雪 解 -3-

珊瑚の誕生会の後は、志穂は予備校へ、他の面々はそれぞれの部活動へと散っていった。3年生が引退した今、運動部などは春の練習試合に向けての調整が欠かせないらしく、これから毎日遅くまで練習が行われるようだ。そんな中、文化部の珊瑚も3年生の引退と共に選ばれた副部長の仕事を覚えるためにあくせくと働いていた。部長の響子と会計の烈は次期部活動費の調整のため部長会議に行っているので珊瑚一人だ。
「ふぅー、こんなもんかな。」
音楽室は基本的に楽器の演奏のために使用しているので、役員の仕事は部活動中に使うことのほとんど無い学生会館にて行われることが多い。音楽室と学生会館は少し離れているので、役員に選ばれてしまうとどうしても自身の練習時間が減ってしまうところが唯一の難点だった。役員の仕事にあまり時間をかけているとどんどん練習時間が減っていく。自分の技量を見極めた上での時間配分も役員として無くてはならない素質の一つになってくるのだ。
「うぅーん…。鳴沢先輩ってこんなに大変な仕事をこなしながらバイオリンソロもやってたのねー。」
いつも涼しげな表情で時間ピッタリに音楽室へと姿を現していた響子の姿を思い描き、深いため息を一つ吐(つ)く。
「よし!とりあえずココまでにしておいて、後は練習が終わってから片付けよう!」
まだまだ仕事は残っているが、最低限零一が指揮を執る合奏練習の時には顔を出したい。そのためには少しでもパート練習の間に合流しておくことが大事だった。珊瑚は時計を確かめると音楽室までの距離を全速力で駆け抜けていた。

(あれ……?さぁちゃん?)
和奏は部室から型紙と布地を手に出てきたところで、学生会館から全力疾走する珊瑚の姿をちらりと見かけた。
「あれってお友達の海藤さんじゃないの?」
同じように布地を持って隣にいた綾子(りょうこ)も気がついたようで目を丸くして見ている。和奏は苦笑すると綾子(りょうこ)を促して歩き始めた。
「うん、多分アレよ。副部長に選ばれたって言ってたからそのお仕事から楽器練習に行くところなんじゃないかなぁ?」
「……それにしたって、あんなに全力疾走したんじゃ…。」
「多分、そんなところにまで気が回ってないよ。」
「でも、大丈夫なの?」
「ここでわたし達がどうこう言っててもどうにもならないじゃない〜。」
「如月。部活か?」
と、2人の会話に割って入る声があった。その声に背筋を伸ばした綾子(りょうこ)とは違って和奏は微(かす)かに笑むと気軽に声をかけた。
「氷室先生!こんにちわ。はい、部活動の最中です。」
「ふむ。部活動も熱心なようで結構だ。今回のテストも大変、結構。」
「ありがとうございます。」
零一の満足気な頷(うなず)きに和奏は素直に礼を述べる。綾子(りょうこ)は和奏に隠れるように一歩下がった位置で二人の会話を聞いていた。
「…海藤も順調に順位を上げていたな。」
「えぇ、さぁちゃんはやれば出来るコですから。」
「そのようだな。このところの海藤の姿勢には認識を改めなければならないとしばしば感心させられる。」
「それは良かったです。誤解されたままでは可哀想(かわいそう)ですから。」
にっこりと意味ありげな笑みを見せる和奏に零一は軽く咳払いをした。
「例の件もお忘れ無く。」
「……承知している。」
「よろしくお願いします。」
「………。」
和奏はそれだけ言うとぺこりと頭を下げて綾子(りょうこ)を伴って歩き出した。零一の方も軽く会釈をしただけで表情を変えることなく音楽室へと足を向ける。
「……ねぇねぇ、如月さんって氷室先生怖くないの?」
まだどこかぎこちない動きで背後を窺(うかが)っている綾子(りょうこ)に和奏は苦笑しか出てこない。
「ちっとも!だって氷室先生、とっても優しい人よ?」
「えーーー!!そんなこと言うのって絶対如月さんぐらいだよー。」
綾子(りょうこ)の言葉は多分、この学校にいる大部分の生徒の声そのままだろう。和奏はそれ以上零一の評価に対してフォローするつもりはなく、少し肩を竦(すく)めただけに留(とど)めた。
(それに、そういう大事な部分にあまりたくさんのコに気付いてもらう必要ないもんね?さぁちゃん。)

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和奏と綾子の懸念通り音楽室まで全力疾走してしまった珊瑚は息を整えるまでに時間がかかり、結局パート練習中にフルートを吹くことは出来なかった。零一がやってくるまでになんとかなっただけでも今日のところは合格点だろう。
(ダメだー、ぜんっぜんダメっ!明日はもうちょっと余裕をもって音楽室に行かなきゃ…。)
零一からは及第点をもらった本日の合奏だったが、珊瑚としては全く持って不甲斐(ふがい)ないの一言だった。今日の練習について反省しつつ、今はまた学生会館に戻って役員の仕事を片付けているところだ。
「っと、最終下校時刻まで後もうちょっとあるな…。よし!これも片付けちゃおうーっと♪そしたら明日がちょっとは楽になるし♪」
そう言ってまた別のファイルに手を伸ばしたところだった。
「……コホン!海藤。」
音もなく開いた扉に気付かなかった珊瑚は、突然かけられた零一の声に一瞬びっくりしたものの笑顔で顔を上げた。
「あ、氷室先生。お疲れ様でーす。」
そう言って軽く頭を下げて、また作業に戻ろうとしたところで零一に呼び止められた。
「フム……。あ、いや、待ちなさい。」
「はい?」
こうした作業中に零一に止められることはそうそうなく、珊瑚は不思議そうに零一を見る。珊瑚の傍までやってくると零一にしては不自然に視線を僅(わず)かばかり逸(そ)らしつつ、次の言葉を発した。
「君は期末テスト期間中に、誕生日を迎えた。違うか?」
「はい、そうなんです!」
自分の誕生日を零一が知っていただけでも驚きだ。いや、データとしては頭の中に入っているだろうが、こうしてわざわざ本人に伝えるとは零一の性格からしてあり得ない。満面の笑顔になった珊瑚は、しかし、次の瞬間驚きに目を丸くした。
「……プレゼントだ。」
「え?」
「……コホン、誕生日おめでとう。」
そう言って零一が差し出したのはリボンも何もかかっていないシンプルな包装の細長い物だった。しかも祝いの言葉付きだ。珊瑚は慌てて立ち上がると嬉しさに頬(ほお)を紅潮させ、両手で受け取って頭を下げた。
「あっ!ありがとうございます!」
「静かに!」
思わず大声になった珊瑚を誰も責められないだろう。しかし、零一は慌てて制すと今度は明らかに視線を逸(そ)らせた。
「はい……すみません。」
シュンとなって声を落とした珊瑚に零一はもう一度だけ視線を戻すと今度は少しだけ優しい声で告げた。
「以上だ。あまり根を詰めず、ほどほどにして帰宅しなさい。」
そう言って部屋から出て行く零一を、珊瑚はもう一度頭を下げて見送った。

和奏から誕生日当日にもらっていたガラスの筆立てにお気に入りの万年筆を1つだけ挿している。なんだかもったいなくてあまりたくさんの筆記用具を挿す気になれないせいだ。その机の上で、珊瑚はみんなからもらったプレゼントを嬉しそうに広げていた。
「……なんか、みんなわぁちゃんとお揃(そろ)いっぽい?」
苦笑しながら志穂からの寄せ植えの植木鉢と、奈津実からのビーズのペンダントを並べて置いた。和奏の時は瑞希がケーキを焼いてきてたので、珠美がエナメルのブローチを贈ったらしいが、自分には瑞希は意匠の凝った手鏡をプレゼントしてくれた。その細工の細かさに、やはり瑞希らしい物への拘(こだわ)りがよくわかるようだ。
「お嬢ってやっぱり物を見る目はあるんだよね。しかも、私が持っていても不自然じゃないモノを選んでくれる辺りはさすがだわ。」
と感心しながら珠美のプレゼントのケーキを食べる。相変わらずお供はアイスコーヒーである。
「うーん。なんか、今年の誕生日はすごく長く楽しめた気分♪」
それに何より、あの零一からまでプレゼントをもらったのだ。中身はジュラルミン製のペンケースで零一らしくシンプルで機能的なものだった。このペンケースを持っていても不自然じゃないぐらいの自分になりたい。何より零一の期待を裏切るようなことだけは絶対したくない。
みんなからのプレゼントと共にそのペンケースも大事にしまい込むと珊瑚は幸せそうな笑顔を浮かべた。

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