いよいよ本番が近づいてきた。前の舞台を横目に見ながら、吹奏楽部員はそれぞれじっと集中力を高めていた。
(あぁ…… なんだかまた緊張してきちゃった。)
朝に和奏に緊張を解いてもらったはずなのだが、やはり本番直前の緊張感は拭(ぬぐ)えない。舞台に立ってしまえば開き直りも出来るのだが、この直前だけはどうしようもないのだ。もちろん、事前に和奏に緊張を解いてもらっていなければ、今この瞬間に失神しててもおかしくないぐらい珊瑚の上がり癖はひどかった。そうこうしている内に零一がやってきて、部員全員を見渡し口を開いた。
「諸君に言っておく。はばたき学園吹奏楽部に、失敗は許されない。」
厳しい表情でそう告げると、1人1人の顔を見つめてからまた口を開く。
「自信の無い者は、直ちにこの場を去れ。」
そして目を閉じると開演までの時間を待った。珊瑚はぎゅっとフルートを握りしめると、
(うわぁ、そんなこと言われたら、余計緊張しちゃうよぉ……。)
と、目を瞑(つぶ)ってその緊張感に耐えた。やがて、前のクラス劇が終わり吹奏楽部の出番となる。もちろん部員全員、誰1人欠けることなくその場に留(とど)まっていた。それを満足そうに眺めると、零一が声を掛けた。
「……よろしい。それでは各員、速やかに配置につくように。」
舞台に上がってしまえば珊瑚の緊張感は心地いいぐらいの高揚感に変わる。メインフルートの位置に腰掛けると零一の指揮棒だけに意識を集中させた。
珊瑚のソロが近づいてきた。零一の視線が珊瑚の視線と重なる。すっと立ち上がると珊瑚は今までにないぐらい完璧な演奏をして見せた。零一の表情に笑みが昇る。そしてそのまま、吹奏楽部全員が一丸となって無事、演奏会は終了した。
「諸君。エクセレントだ。諸君は、我が校の名誉だ。」
満面の… とまではいかないまでも、零一なりの精一杯の笑顔で部員全員を褒め称(たた)えた。珊瑚もようやく緊張から抜け出してほっと息をつく。
(よかった。うまくやれたみたい。)
そして、解散となり珊瑚もフルートを片付けていると零一が側にやってきた。
「海藤。どうだ?本年の演奏会の感想は?」
「はい、私、できる限りのことはしました。」
零一の笑顔に支えられて素直にそう答えると、満足そうに一つ頷(うなず)き零一が言葉を続けた。
「そうだな。今度の演奏会は、君の演奏に支えられたと言ってもいい。」
そして目を開くと珊瑚と視線を合わせてこう言った。
「……君を見ていて、私は、少し実験をしてみたくなった。」
「実験…… ですか?」
なんだろうと首を傾(かし)げる珊瑚に零一は笑みを浮かべたまま続けた。
「来年の選曲は、君たちの意見を取り入れてみようと思う。……どうだ、やってみるか?」
探るような視線だが、断らないと確信している瞳(め)だ。珊瑚が素直に
「はい。」
と返事をするとやはり零一は満足そうに頷(うなず)いた。
「よろしい。」
こうして、今年の文化祭は終了した。
「とうとう終わっちゃったネー、文化祭。」
後片づけを終えて帰路に就く5人だ。奈津実が頭の後ろで腕を組み残念そうに呟(つぶや)く。それを笑顔で見ている珠美。志穂もさすがに今日は予備校へは行かないようだ。瑞希は… 疲れたからと先に迎えの車で帰ってしまっていた。
「それにしても… 如月さんの洋服も、海藤さんのソロも素晴らしかったわ。」
「うん。和奏ちゃんのお洋服、とっても可愛かった。珊瑚ちゃんの演奏も、すごく素敵だった。」
「ウンウン。和奏のあの服、とっても似合ってたよー。珊瑚のソロは鳥肌モノだったよね!」
3人に褒められて和奏も珊瑚もすごく照れた。
「あは、ありがとう。」
「そう言ってもらえると、頑張った甲斐(かい)があるよ、ホント。」
「吹奏楽部は夏からずっと地獄の特訓だったもんね。」
「エー!? そんなのやってたのー?」
奈津実がオーバーに驚く。珊瑚は苦笑して頷(うなず)いた。
「そうなんだ。合宿はヒムロッチの個人指導がみっちりあったし、2学期が始まるとパート毎の指導がすごかったし…。」
確かに厳しかったが実りも多い指導内容だった。零一が真剣なので、部員達もみんな真剣だ。その中での珊瑚のスランプは忘れようもない経験だった。あれがあったからこそ、今日の完璧な演奏に繋(つな)がったのだと珊瑚にはわかっている。
「あ、それで、スランプだったんだ?」
奈津実が納得した表情で珊瑚を見た。こくりと頷(うなず)くと珊瑚は正直に白状した。
「そ。あのすごい指導期間に私にだけ、なーんにも声が掛からないの。初めはなんでかわかんなくて、すっごく落ち込んだけど…。」
そう、あれは零一の精一杯の優しさだ。自分で気付かなければそこで壁を乗り越えることは出来ない。零一はいつでも生徒1人1人のことをちゃんと考えて、一番いいと零一自身が考えついた方法で接してくる。それがわかったのもあのスランプのおかげだった。
「氷室先生らしいわね。」
志穂が優しく微笑みながら話を聞いていた。珠美はまだよくわかっていない表情で口を挟まずに聞いている。
「でも、さぁちゃんはきっと期待の星だよ。」
和奏がそう言うと皆が一斉に和奏の方を見た。珊瑚が後ろで黙って!とでも言うように人差し指を立てて口に当てている。和奏はくすくすと笑うと、珊瑚のマネをした。
「あ、まだ内緒なんだね?」
「エー!和奏だけずるいっ!」
途端に奈津実が眉を寄せて抗議をするが、珊瑚はどこ吹く風、だ。
「だって、やっぱり驚かせたいし。」
「でも、海藤さんが期待の星だっていうのは、納得できるわね。」
志穂が口を挟んだ。
「どうしてよー?」
「だって、今日のフルートのソロ、ホントに素敵だったもの。氷室先生も笑みを浮かべていたし。」
志穂のその言葉に奈津実は目を丸くした。
「エ?ヒムロッチ、笑ってたの?」
「えぇ。思った通りの演奏を海藤さんがしたから、嬉しかったんじゃないかしら?」
「くぅー、貴重な瞬間を見損(そこ)ねた!ヒムロッチの笑顔なんて!」
問題はそこかと、志穂は首を振ってそれ以上の言葉を発しなかった。和奏も珊瑚も苦笑している。珠美がのほほんと、
「あ、それで氷室先生、笑ってたんだ。」
と言ったものだから、奈津実はますます悔しがった。
「なになに!? じゃあ、アタシだけ?ヒムロッチの笑み、見てないの!」
「そういうコトみたいだね。」
「くっやしいー!見てろー、絶対にぎゃふんと言わせてやるんだから!」
何故か奈津実の魂に火を付けた格好になったようだ。そんなこんなでワイワイと仲良く下校した5人であった。