零一から許可が出たので、早速奈津実と待ち合わせていつも寄り道する喫茶店へと向かった。それぞれ注文した後で奈津実が肘をついて手の上にあごを乗せると、感慨深げに目を閉じた。
「…それにしても、よくあのヒムロッチが許可してくれたね。」
その言葉に珊瑚も苦笑しながら同意する。
「うん、私もちょっとびっくりしたよ。」
「ダメ元って思ってたけど、なんだかんだで珊瑚って気に入られてるからなー。」
上目遣いで見遣(みや)りながら奈津実がそう言うと、珊瑚は少し慌てたように両手を顔の前で振った。
「エー!? そんなことないよー…。」
「そんなことあるよ!時々帰り道に送ってもらってること、知ってるんだからね!」
奈津実に突きつけられた人差し指にそのままホールドアップの姿勢で固まっていた珊瑚だったが、店員が注文した物を持ってきたので一時会話が中断する。その間に、両手を下ろした珊瑚は必死に体制を取り繕っていた。
(ふ、藤井ちゃんにバレてませんように!)
しかし、そんな珊瑚の内心の焦りには気付かずに、奈津実は脳天気にスプーンを手に取った。
「いっただっきマース♪ …ま、それはいいわ。」
早速チョコレートパフェにスプーンを入れる奈津実。珊瑚も今日は奈津実に付き合ってプリンパフェを頼んでいる。あっさりと引いた奈津実に怪訝そうな顔を向けて、内心はほっとしながら珊瑚が口を開く。
「…で?他に何かあるの?」
「ん?んー… ホラ、結局さ、和奏の方はどうなってるのかなー?って…。」
奈津実はさり気なさを装ってスプーンで空(くう)を指しながら、用心深く切り出した。和奏に対して異常なぐらいの警戒心を持っている珊瑚のことだ。下手な聞き方をすれば逆に固く口を閉ざされてしまうことになるのはすでに経験済みである。かといって、こんなに面白そうな話を黙って見てろというのも奈津実にとっては酷な話なのだ。珊瑚の方はというと忘れてなかったのかと内心ため息をつきながら、以前聞いたときに和奏が言っていたことを思い出してそれを真似て話した。
「う…ん …やっぱり“好き”みたいだけどね… 友達として。」
「ナニソレー!?」
途端にぶーたれた様子で頬を膨らませる奈津実。そんな奈津実の反応はある程度予想通りだったのでしばし考えた後、珊瑚はいい例えを思いついたと手を打って言葉を続けた。
「そうそう、ちょうど藤井ちゃんと姫条みたいな感じなんじゃないかな?」
「ヤダ、やめてよ〜!なんでそこで姫条の名前が出てくるのさ!」
顔を顰(しか)めてスプーンを握った手でテーブルをドンと叩(たた)いて奈津実がそう言うのに、珊瑚は ─そんなに気に障(さわ)るようなことを言ったかな?─ と首を傾(かし)げた。
「えー?だって、仲イイじゃない、藤井ちゃんと姫条。」
「…まぁ、仲のイイ男友達のうちの1人だけどさー…。」
どこか不自然に言葉を切って視線を逸(そ)らす奈津実だったが、別のところへ話題を振ろうと考えを巡らせていた珊瑚はそれには気付かなかった。
「じゃあさ、藤井ちゃんはどんな恋愛が理想?好きなタイプとか……。」
珊瑚が興味深げにそう聞くと、奈津実は口にパフェを運んだスプーンを銜(くわ)えたままうーんと考えた。
「そうだなぁ… …アタシのタイプ、けっこう簡単だと思うけどなぁ。」
そうしてまた、スプーンで空(くう)を指しながら口を開く。
「いつも一緒にいて、そばで笑ってくれるヤツ……。それだけなんだけどね。」
思ったよりまともな返答が返ってきたのと、奈津実の人好きのする性格から珊瑚は不思議そうに呟いた。
「ふぅん、そういうコだったら、藤井ちゃんならいくらでも候補がいそうだけどね。」
「でしょ?不思議だよねぇ……。」
眉を寄せて視線を落とし、パフェをつつきながら奈津実が続ける。
「後はただ、足が長くて歌が上手くて身長が……。」
(やっぱりそういうことか……。案外理想が高いんだよね、藤井ちゃんって。)
らしい奈津実の言葉に苦笑しながら珊瑚もパフェを一口食べた。
「さぁちゃん、なんだか嬉しそうだね。」
あれから三日が経ち、珊瑚は久しぶりにフルートのケースを持って登校していた。纏(まと)っている空気も幾分柔らかいものになっている。
「うん。ヒムロッチに相談して、3日間、部活も休ませてもらってずーっとフルートに触らなかったんだけどさ。」
どうやらフルートに触らずに過ごす、ということは珊瑚にとって思ってた以上の効果をもたらしたようだ。和奏は憑(つ)きものが落ちたようにスッキリした表情の珊瑚の言葉に耳を傾けながらほっとしていた。
「もうね、今日はフルートが吹きたくて吹きたくて。今から部活がすごく楽しみなんだ♪」
フルートのケースを抱え込んでそう言う珊瑚につられて、和奏も笑みを返しながら手を一つ打った。
「そかそか〜。よかったねぇ。これでスランプ脱出だね。」
「うん!アドバイスをくれた藤井ちゃんとわぁちゃん、そして許可をくれたヒムロッチのおかげだよー。」
感謝感謝、と言いながら久しぶりに笑顔の珊瑚につられて、和奏もなんだか嬉しくなった。
三日ぶりの部室は少し緊張する。零一の許可を得ていたとは言え、部員には誰にも何も言わずに急に休んだのだ。非難を受けても仕方がないと覚悟して、珊瑚は内心気合いを入れると部室のドアを開けた。
「急にお休みしてご迷惑をおかけしました。」
部室に入って部員のみんなにぺこりと頭を下げると、思っていたような非難などはなく、みんな心配そうな笑顔で迎えてくれた。
「海藤さん、もう大丈夫?」
「氷室先生から話は聞いてたよ。あまり根詰めちゃダメだよ。」
「そうそう。適当に気は抜かなきゃ。」
「はい。これからは充分気をつけます。」
先輩達も笑顔で声を掛けてくれた。珊瑚は嬉しくなって笑顔を返すと、すぐにフルートを組み立てておさらいを始めた。
「海藤さん、調子、良さそうじゃない?」
後から部室に来た美代が、珊瑚の姿を見つけてすぐさま寄ってきた。珊瑚も笑顔を見せて言葉を返す。
「うん!なんだかね、すっごーく今フルートが吹きたい気分なの。」
すると、美代は少し大袈裟(おおげさ)なぐらいに目を丸くした後、破顔した。
「お?じゃぁ、今日の演奏は期待できるね。」
「うん。休んでみんなに迷惑掛けた分も気合い入れ直して頑張るよ。」
そうこうする内に零一が部室に入ってきた。部員全員がさっと自分の席に着き、零一の言葉を待つ。零一はぐるりと見渡して珊瑚の姿を見つけると、微かに頷(うなず)いてから正面に向き直り口を開いた。
「それでは諸君。今日は久しぶりに音を合わせてみる。」
そういうと零一は指揮棒を取り出した。みんな居住まいを正して音合わせを始める。そして、零一の指揮に合わせてみんなの心が一つになった。
珊瑚は必死に零一の指揮棒を追っていた。フルートを吹くのが楽しくて仕方がない。みんなの音がちゃんと聞こえてくる。「ファランドール」の楽譜を手にしてから、初めて珊瑚は気分よく演奏が出来た。
「ふむ。まずまずの仕上がりになったようだな。」
指揮を終えた零一がそう評価した。部員全員がそれぞれに手応えを感じたようで皆、満足そうな表情を乗せている。
「ここまで来れば、後は文化祭まで精進あるのみだ。本番で最高の演奏が出来るようにがんばりなさい。以上。」
指揮棒を片付けて零一が定位置の椅子に腰掛けると、パート毎に別れての練習が始まった。フルートのパートでは、やはり珊瑚がみんなから賞賛を受けていた。
「やったな、海藤!」
「うんうん、今までで一番良かったよ。」
「余分な力がやっと抜けたみたいだな。」
「この調子で頑張ってね。」
「はい!ホントにご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。」
先輩達から笑顔でそう言ってもらえると珊瑚も素直に嬉しかった。三日間の急な休みのお詫(わ)びとお礼を再度述べると、練習に集中する。この経験でまた一つ成長した珊瑚だった。