試 練

10月に入り、文化系の部活では文化祭の準備に慌ただしくなってきた。中頃までには形にしておかないと、クラス出展の準備と重なって思うように捗(はかど)らなくなるからだ。そんな中、和奏もようやく仮縫いが終わったジャケットに袖を通して、寸法のチェックに入っていた。
「うん、なんとか大丈夫みたい。」
ペアを組んでいる綾子(りょうこ)と鏡を見ながら確認し、後ろのチェックもしてやっと顔が綻(ほころ)んだ。綾子(りょうこ)の方も思っていた以上に和奏の作品が上手くいっているので上機嫌だ。
「ホント、如月さんって要領掴(つか)むの早いよね。」
「そ、そうかな…?」
「うん!正直、ここまで出来ると思ってなかったもん。私自身、始めた頃はもっと散々だったし。」
と、当時を思い浮かべて口をへの字に曲げる綾子(りょうこ)。和奏は驚きに目を丸くした。
「え〜!うっそぉ〜!」
「本当だよ。こんなことでウソ言ってどうするのよ。」
「今の月森さんからはぜんっぜん想像も付かないよ〜。」
チェックが終わったので脱いだ洋服を広げながら和奏がそう言って綾子(りょうこ)を見た。綾子(りょうこ)は本当だというように何度も頷(うなず)いている。
「だって、本当なんだもん。きっと如月さんの方がずっとセンスあるんだと思うよ?」
「月森さん、それは言いすぎだよ〜。」
にっこり笑っての綾子(りょうこ)の言葉にさすがに顔を赤くして、和奏は手元の洋服に視線を向けた。

放課後、和奏は1人で公園通りの手芸店へと足を向けていた。先日買ったボタンではいまいちしっくり来なかったのと、中に着るブラウスの襟に付けるレースを探しに来たのだ。“らしくなさ”をテーマにしていると言っても、あまりにも違いすぎるのでは似合わなくなってしまう。そう思ってブラウスだけは Pure 系に近づけようと思ったのだ。
「Pure 系なら公園通りの方が断然品数多いだろうしね。」
どんな襟にしようかと頭の中で色々浮かべながら森林公園を横切っていく。そうして噴水広場まで来たところで、見覚えのある人物が木陰にいるのに気が付いた。
「あ、須藤さんだ。何してるんだろう?こんなところで…。」
周りを見渡してみても瑞希の連れはいなさそうだ。いつも必ず側にいるあの執事でさえ姿が見えない。そこで少し遠いながらも、手を振って和奏は声を掛けてみた。
「須藤さ〜ん!?」
その声に振り向いた瑞希の顔は少し怒っていた。和奏はきょとんとして首を傾(かし)げながら近づいていく。
「大声で人の名前、呼ばないでちょうだい!」
「あ、ごめん……。」
側まで来たところで、瑞希に小声で窘(たしな)められた。そんな瑞希の様子がいつもと違ってどこか不自然で、和奏はなんとなく同じように声を潜めて聞いてみた。
「……ねぇ、なにコソコソしてるの?」
「隠れてるのよ。見てわからないかしら?」
今日はかなりご機嫌斜めの様だ。しかし、ここで引いてしまっては逆に瑞希の機嫌がもっと悪くなることを知っている和奏は、気付かないふりで言葉を続けた。
「なんで?」
「それは……。」
と瑞希が言いかけたと同時に茂みから瑞希の執事が現れた。驚いている和奏の前で執事は恭しく頭を下げると瑞希に視線を合わせた。
「お嬢様、こちらにいらっしゃいましたか。」
「あ、ギャリソンさん。」
「………………。」
瑞希はしかめっ面で視線を逸(そ)らしている。和奏は、
(もしかして、ギャリソンさんから隠れてたのかな?いつも一緒なのに…。)
と不思議に思った。瑞希に視線を逸(そ)らされても機嫌を悪くした風もなく、執事は笑顔で口を開く。
「さ、大奥様のお茶会に遅れてしまいます。参りましょう。」
と手を差し伸べた時だった。瑞希が急に驚愕(きょうがく)の表情で執事の後ろの空を指さし、
「……ああっ!? UFOよ!」
と叫んだのだ。執事はすぐさま振り返り、
「すわっ!宇宙人襲来でございますか!?」
厳しい表情で空のあちこちを探し始めた。
「…え?」
その時、和奏は瑞希の勝ち誇った笑みを見てしまった。そして和奏が口を開こうとすると、瑞希が人差し指を口に当てて睨(にら)み付けたので口を噤(つぐ)んだ。和奏が黙ったことを確認すると、すぐに瑞希は身を翻して走り出した。その足音に気付いた執事が慌てて振り向く。
「あ、お嬢様!お待ちください!?」
「ギャリソン!おばあさまに伝えてちょうだい!ミズキは風邪で寝こんでますって!」
そう言って大きく手を振ると木々の合間に見えなくなっていった。
「お嬢様!」
執事は追いかけようと足を踏み出したが、すぐに思い直したようでがっくりと肩を落とす。
「……はぁ、また逃げられましたか……。」
「須藤さん、もしかして、おばあさんのこと、苦手なんですか?」
残念そうな執事の様子に、和奏は先ほど疑問に思ったことを聞いてみた。すると、執事は気を取り直したように苦笑を見せて、
「はい。大奥様は大変お厳しい方ですので、自由奔放な瑞希様とはどうも……。」
と答えた。そして、慌てて視線を逸(そ)らして動揺する。
「ハッ!私としたことが……。」
主人の悪口に近いことを言ってしまったので反省しているようだ。和奏は何とも言えずに執事を見つめる。
「それでは、失礼いたします。」
すぐに気を取り直した執事はそう挨拶(あいさつ)をして頭を下げると、厳しい表情で瑞希が消えた方向へと歩いていった。
(たいへんそう……。でも、今どきUFOにひっかかるギャリソンさんて……。)
なんとなく見送っていた和奏だったが、真剣にUFOを探していた執事の表情を思い出して苦笑した。
「さて、わたしも急いでボタンとレースを調達しなくちゃ!」
瑞希のことですっかり時間を取られてしまった和奏は、目的の店へと急いだ。

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「へぇー、お嬢にも弱点があったんだね。」
「うんうん。須藤さんの様子から思うに、ホントにすごい厳しい人なんじゃないかなぁ?」
今日買ってきたボタンとレースを並べてみながら和奏は珊瑚に電話を掛けていた。今日会った瑞希と執事の様子を話して聞かせたのだ。煮詰まっていてフルートの練習に嫌気がさしていた珊瑚は、渡りに船とばかりにその話に飛びついてきた。
「それにしてもUFOって…。」
ぷぷぷと笑いながら珊瑚が言う。和奏もくすくすと笑いながら、
「でしょ〜?その時は呆気(あっけ)にとられてて反応できなかったけど、後から考えたらおかしくって。」
「ギャリソンさんってホントに面白いねー。」
瑞希が呼べばいつでも側に寄って来るし、瑞希がおかしなことをすればすぐに周りにフォローをしていく執事。執事の中の執事と言えば聞こえは良いのだが、少し過保護すぎるところもある気がする。そのくせ、やはり年のせいかこちらが思わぬところですっとぼける事があるのだ。そんなことをすっかり話し込んでしまい、夜中を回っていた。いい加減に寝なさいと階下からの母親の声がうるさい。
「…そろそろ寝よっか?」
「ホントだ、もうこんな時間!ごめんねぇ、付き合わせちゃって。」
和奏が電話口の向こうで申し訳なさそうに謝る。珊瑚はその言葉は否定して、お休みなさいと電話を切った。そして、フルートを見つめるとため息を一つ。
「…どうしよう…。」
のろのろと片付けて明日の準備をすると、珊瑚は眠れそうもない瞼(まぶた)を無理矢理閉じるのだった。

「エー!? スランプ?」
翌日。お昼休みに奈津実と2人になり、珊瑚はぽそっと漏らした。朝も通学途中に和奏に相談しようと思っていたのだが、なぜか言い出せなかったのだ。奈津実は少し大袈裟(おおげさ)なぐらいのリアクションを取った後、でも目はすごく真面目に心配そうだった。
「珊瑚でもそんなことあるんだネ。」
「そりゃそうだよ。私も人間なんだから。」
「あーっと、そう言う意味じゃなくて、何って言うか、アタシの場合、好きなことに対してはスランプという言葉はないから。」
と言って苦笑する奈津実。珊瑚はその言葉に驚いた。
「えー!藤井ちゃん、スランプ経験したことないの!?」
「スランプがないって訳でもないんだけど…。」
頭をかくフリをしてまた真面目な表情に戻すと、奈津実は話し出した。
「アタシの場合はさ、基本的に動くことが好きじゃない?」
「うん、そうだよね。」
「ウン。だからネ、スランプだったとしても動いている内に元に戻るんだ。」
「そっかー。藤井ちゃんは力任せに脱出するんだね。」
「力任せって… ヒドイ言い方だなー!ま、実際そうなんだけどさ。」
両手を腰に当てて憤慨してみせるがすぐにけろりとした表情で言葉を続ける。
「珊瑚もアタシと似たようなタイプだから、同じかなー?と勝手に思ってたんだ。」
「あ、なるほど…。」
「でも、どうしてもダメなときは休んでみたらどう?」
「休む…?」
「ウンウン。押してダメなら引いてみなってネ。あのヒムロッチの部活だから認めてもらえるかどうかはわからないけど、休んでみるってのも一案だと思うよ?」
人差し指を立ててそう説明する奈津実の言葉に揺れ動く珊瑚の気持ち。
「う…ん、そうだね。ちょっと考えてみる…。」
「うん、そうしなよ!休むときは声かけてネ!いつでも付き合ったげるからさ!」
「うん、ありがとう。」
どこまでも明るく励ましてくれる奈津実はこういうときには本当に有り難い。奈津実のアドバイスを頭に入れて教室に戻る珊瑚だった。

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