本来なら新学期を迎える9月1日。今年は日曜日なので実質今日まで夏休みだ。にも関わらず両親が揃(そろ)って出かけているので、晩ご飯の支度をすべく和奏は買い物に出ていた。今日のメニューは尽の希望でカルボナーラだ。
「ベーコンと、生クリームと… よし、忘れ物はないわね。」
ぶらぶらとスーパーの袋を提げて歩いて行くと、ちょうど児童公園から出てきた珪に出会った。珪もすぐに和奏に気付いて微笑を見せる。
「なんだ、おまえか。」
髪の毛に寝癖が付いているのを目敏(めざと)く見つけた和奏が、くすくす笑いながら尋ねる。
「葉月くん、また公園でお昼寝してたの?」
「ああ… 今、時間何時だ?」
「もう夕方だけど、もしかして今日もバイト行けなかったの?」
「みたいだな。」
慌てた風もなく肩を竦(すく)めてみせる珪。この頃はそんな珪にも慣れっこになっていて、和奏もさして驚かない。なんだかなぁと思わないでもなかったが、本人が気にしてないことを他人がどうこう言っても始まらないだろう。
「……面白い夢見てたんだ。」
少し悪戯っぽい笑みを見せた珪につられて和奏はつい聞き返していた。
「どんな夢見てたの?」
「猫が……。」
「猫がどうしたの?」
「ああ、猫がたくさん出てきた。それにあいつらしゃべるんだ。」
珪のその言葉に目を丸くして驚いた後、和奏はすぐに両手を合わせてうっとりとした。
「いいな〜。猫とお話できたら楽しいだろうな。」
「おまえ、本当にそう思うのか?」
ちょっと意外そうにそう聞く珪に、和奏も意外な感じがして聞き返していた。
「どうして?葉月くんも楽しかったでしょう?」
「あ、ああ。そうだけど、普通猫がしゃべったら変だろう?」
「そんな事ないよ。わたしよく近所の猫とお話しするよ。」
小首を傾(かし)げた和奏がそう言うと、珪は驚いた表情で真っ直ぐに和奏を見つめた。
「おまえ、猫の言葉がわかるのか?」
「そうじゃないけど、お腹空(す)いたよ〜とかわかるでしょ?」
右手の人差し指を頬(ほお)に当て少し考えるようにして和奏がそう言うと、珪は安堵したのか微笑を浮かべた。
「ああ、それなら俺もわかる。」
「それから、寂しいよ〜とか。」
「ああ、わかる。体をすり寄せてくるんだよな。」
そう言うときの猫の仕草を思い出したのか、珪の瞳(め)が優しくなった。和奏は少しどぎまぎしながら言葉を続ける。
「そうそう、そんなときね、わたしも自分の事とか話しかけるんだ。」
「どんな事だ?」
「気になる人の事とかね。わたしのことどうおもってるのかにゃ〜、なんてね。」
ぺろっと舌を出しちょっぴりおどけてそう言うと、珪は声を出して笑った。
「ははは、かにゃーって、なんだそれ。」
口元を押さえてくつくつとまだ笑っている珪に少し憤慨した様子で、和奏が説明する。
「なんだそれじゃないよ。猫語だにゃ〜。」
「おまえって、面白いヤツだな。」
ようやく笑い納めた珪がそう言うと、和奏はまた首を傾(かし)げて、
「そうかな?普通だと思うけどな。」
と言ってみた。猫語がよっぽど気に入ったのか、珪が何か思いついた様に嬉しそうな笑みを浮かべた。
「よかったら、今度体育館裏の猫の家族を紹介してやる。」
「うわぁ!本当?楽しみにしてるね。絶対だよ?」
「ああ…。」
和奏は嬉しそうに両手を叩くと一も二もなく頷(うなず)き、珪もそんな和奏の様子に笑みを湛(たた)えたまま頷(うなず)いた。
家に帰ってメールチェックをすると、奈津実からメールが入っていた。
“夏が終わっていく・・・
休みが始まる前は、いろいろやるつもりだったのに
結局クラブとバイトで終わったような気がする・・・
ハァ〜〜
そっちはどう?
なんかあった場合はぜんぶ報告するように!
・・・なんかあったといえば、夏休みの課題って
なんかあったっけ?
あったら見せてね。”
「藤井さん、クラブもバイトも頑張ってたもんね。」
だからこそ、瑞希から水着を奪って買えたのである。珊瑚と一緒に陣中見舞いに行ったウィニングバーガーでの奈津実の営業スマイルを思い出しながら、和奏はそう一人ごちた。それにしても奈津実はするどい。墓穴を掘るので確認はしてないが、きっと薄々気が付いているのだろう。
「なんかあったらって… 別に特別なことは何もなかったんだけど…。」
あくまで自分の気持ちに蓋(ふた)をしてそう呟く和奏。そうして、最後の文章に苦笑した。
「結局これが言いたかったのね… 仕方ないなぁ…。」
くすくすと笑いながら、課題の仕上がり具合をチェックする。大丈夫、何も忘れていないはずだ。
「後は… クラブの課題が一番の問題かな…?」
苦笑しながらデザイン画を手に取る和奏であった。
同じ頃、早々にお風呂に入った珊瑚はまたちはるからメールが届いているのに気がついた。髪を乾かす手を一旦止めてメールを開く。どうやら時代劇を見たらしい。
“珊瑚。
時代劇を見ました。
アメリカでも日本の侍は有名です。
特にミヤモト ムサシはとても人気があります。
侍は怖い人ばかりだと思っていました。
時代劇を見て、優しい侍がいることがわかりました。
少し安心しました。
これにてごめん。”
「……ま、間違ったこと教えちゃったかな……。」
冷や汗を流しながらメールを読む珊瑚。喜んでくれたようなのでよしとしたいところではあったが、やはりどうにも気になるので返事を出すことにした。
「んっと… 時代劇は日本の文化を学ぶのには役立つかも知れませんが、言葉は今の言葉とは少し違うのであまりオススメできません。言葉を学ぶならばやはりニュース番組の方がいいかも…。」
ちはるへメールを返信すると、志穂からのメールも開いてみた。
「へぇ〜… ありりん、背、高いもんね…。でもさすがに、日に当たったから伸びるってことはないと思うんだけどな。」
勉強熱心な志穂なのに、たまにこういう可愛いとぼけ方をする。よほど身長が高いのを気にしているらしい。それもあって運動をしたがらないのも一因としてあるのだろう。
珊瑚はまた志穂の可愛い一面を見たとなんだか嬉しくなった。こうして夏休み最後の日は終わりを告げた。