やすらぎ -3-

「ありがとうございましたー!」
今日は金曜日なので和奏とは別だ。代わりに聞いていたとおり羽ヶ崎高校の男の子、山中 拓がシフトに入っていた。
「おい… そろそろ休憩入ったらどうだ?」
「え?あ、ありがとう。」
同級生なのだが、彼の方がバイト歴は長いため一応先輩になる。とは言ってもため口で話しているのだが。彼は特にそうしたことに拘(こだわ)るタイプにも見えない。
「アイスコーヒーでいいのか?」
「うん、お願い。」
休憩時間は一杯だけ好きなものを飲んで良いとのオーナー裕司の計らいだ。そうやって味を覚えていくためという理由もあるらしい。どちらにしても放任主義のオーナーだった。拓に淹(い)れてもらったアイスコーヒーを美味(おい)しそうに飲みながら、珊瑚は声を掛ける。
「ね、山中君はいつからバイト入ったの?」
いつもは呼び捨ての珊瑚も今日が初対面だということも、別の高校でバイトでは先輩でもあるので一応君付けで呼んでいる。彼は下げてきたグラスを洗いながら口を開いた。
「ん?高校入ってすぐからだけど?」
「……そっかぁ …私も早めに始めれば良かったなぁ…。」
(って、バイトしてなくても補修組だった私のいうセリフじゃないか。)
珊瑚は内心そう思ってぺろっと舌を出した。
「どこでこのお店の募集、知ったの?」
「ああ… 俺、ココの常連だったからさ。中学の時から。」
笑いながら拓はそう言った。そのうちにオーナーに気に入られてバイトに引き込まれたと言うことらしい。珊瑚と同じコーヒー好きな彼に少し話しただけでも親近感が湧(わ)いた。
「いらっしゃいませ。」
また客が入ってきて話が中断する。拓が席へと案内している間にアイスコーヒーを飲み干して、グラスを洗った。
「海藤。あっちの奥の席、グラス下げてきてくれ。俺、今のオーダー運んだら休憩入るからさ。」
「うん、わかった。」
そして、拓と入れ違いに客席へ行き、言われたとおりにグラスをトレイに乗せてテーブルを拭(ふ)いていく。カランカランと控えめに入口のベルが鳴った。
「いらっしゃいませー!」
「海藤。」
その聞き慣れた声に振り返ると、入口で零一が腕組みをして立っていた。
「あっ、氷室先生!」
「よく似たウェイトレスがいると思ったら、やはり君か……。」
そう言ってカウンター席へ腰掛ける。珊瑚はグラスを下げてすぐ、カウンター越しに零一に注文を聞いた。
「先生、ご注文は何になさいますか?」
「ホットコーヒーを一つ。」
「かしこまりました!ホット1つ入ります!」
まだ日が浅い珊瑚は客に出す飲食物には一切手を着けられない。注文を聞いて奥で休憩していた拓が出てきて、手際よく淹(い)れてくれた。
「お待たせしました。ホットコーヒーです。ごゆっくりどうぞ。」
「………。」
無言で一口カップに口を付ける零一。珊瑚はまた急に零一が現れたのはどういうことなのか不思議に思ったが、他にも客はいるしバイト中でもあるため、あまり意識しないように仕事に集中することにした。

「失礼する。」
ゆっくりと一杯のコーヒーを飲み終えた零一が席を立った。珊瑚は慌ててレジへと向かう。
「お会計は2リッチになります。」
「海藤。」
「はい?」
支払いを済ませた後に零一が珊瑚に呼びかけた。大丈夫、何も粗相はなかったはずだ。零一のことを意識しすぎることなくきっちりアルバイトに集中していた。そうは思っても期末のこともあってやはり少し不安だった。
「アルバイトも結構だが、学業がおろそかにならないように。」
零一はそれだけを言うとすっと店から出ていった。
「はーい…。」
苦笑しながらその後ろ姿を見送る。零一の言いたいことはわかる。なんせ一学期末は補修組だったのだから。それでも、アルバイト中の姿勢は零一の目に適(かな)ったのだろう。ほっとしながらレジからカウンターへと戻った。
「…海藤、あのさ。」
珊瑚がカウンターに戻ると待ちかまえていたように拓が声を掛けた。何だろうと首を傾(かし)げながら続きの言葉を待つ。
「今のってお前の学校の先生か?」
「うん、担任の先生。」
すると拓は眉を寄せて難しそうな顔になった。
「おっかねぇ先生だなぁ… ずっとお前のこと、睨(にら)み付けてたぞ…。」
「あはは… 根は悪い人じゃないんだけど、ね。」
アルバイトをするには必ず学校側へ申請しなければならず、担任である零一がそれに目を通すのは当然のこと。もしかしたら、様子を見に来てくれたのかもしれない。珊瑚はなんとなく面映(おもは)ゆい気持ちになって微かに笑みを漏らした。

ライン

「え〜!? 氷室先生が見えたの???」
帰宅後、早速和奏に電話で報告すると思っていた以上のリアクションが返ってきた。珊瑚は笑いながら話を続ける。
「私が補修組だったからよっぽど心配だったんじゃない?」
「そうかなぁ…?有沢さんのところにも行ったのかなぁ?」
「さぁ?それはどうかしらないけど…。」
志穂は入学当初からバイトをしているのだ。どうなのか、今度会ったとき聞いてみようと思う珊瑚である。
「うちの担任なんて知らん顔だもんね。慰問してくれる氷室先生の方が断然良いよ。」
「でも、あの様子でずっと見られてたら落ち着いて仕事出来ないよ?」
四六時中視線を感じていたのだ。気にしないようにと何度心の中で唱えたことか。珊瑚が顔を顰(しか)めてそう言うと、その様子がわかったのか和奏が笑った気配がした。
「それよりさ、山中くん、どうだった?」
「どうって…?」
すると意外な言葉が電話口から聞こえてきた。
「葉月くんほどじゃないけど、彼も結構無口でしょ?」
「………そうかな?」
「あれ?そうじゃなかった?おかしいなぁ…。」
「別に普通にしゃべってたけど…?氷室先生が来たときは本気で驚いて聞いてきたし。」
今日一日を振り返ってみても、特に静かだったような気はしなかった。四六時中話してたわけでもないが、それなりに会話はあったように思う。
「おかしいな… わたしとだとちっとも話してくれないのに…。」
和奏の方も木曜日は拓と一緒のようだった。だが、こちらはそれほど会話をしていないようだ。
「私が初めてだったから色々教えてくれたんじゃなくて?」
「初めての時から無愛想だったよぉ…。」
嫌われてるのかなぁと本気で悩み出す和奏。珊瑚は機会があれば早々に拓に問いつめねばと心に決めた。
「ともかくさ、氷室先生が突然現れたら気を付けてね。なんせずっと私を“睨(にら)み付けて”いたらしいから。」
「やだぁ… 単に様子を見てただけでしょ?氷室先生の性格だもん。」
“睨(にら)み付けて”を強調して言ってみせると和奏の声に元気が戻ってきた。珊瑚は今日はこれ以上拓のことには触れずに切ろうと口を開いた。
「それじゃ、ね。」
「うん、おやすみなさい。」

こうして喫茶ALUCARDでのアルバイトの日々が始まった。

end.

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