実は、和奏と珪は同じクラスであった。初めは気付かなかったのだが、和奏の斜め後ろに珪の席はあった。とはいえ、話しかけるチャンスもなくそのままで今まで来ている。
「特に… 何も…。」
「お嬢が変にくっついてるからねー。」
「うぅん、須藤さんは悪くないよ?いつもわたしのことフォローしてくれてるし。」
珊瑚からすれば、瑞希のフォローを和奏がしているようにしか見えないのだが…。でも、クラスでは席順が前後と言うこともあって、和奏と瑞希はいつも一緒にいた。
「部活始めちゃったから帰りもなかなか合わなくて…。ほら、葉月くんって部活してないでしょ?」
「あぁ、そうだね。モデルのバイトが忙しいみたいだし。」
「ぅん、そうなのよね…。尽にもいろいろ教えてもらったけど、お誕生日は10月だし電話をかけるなんてとんでもないし…。」
「かけちゃえばいいのに。」
「え?」
「別に葉月、嫌がらないと思うけど?」
「電話して何話すのよ〜!?」
「デートに誘えばいいじゃない。今日みたいに森林公園お散歩するだけでも立派なデートだよ?」
「でも… 急に、そんな…。」
真っ赤な顔であたふたとしている和奏。珊瑚は優しく微笑んで和奏の頭をぽんぽんっと撫でた。
「そういうところが、わぁちゃんの可愛いところなんだけどねぇー。」
「もう!さぁちゃんからかわないでよぉ…。」
と、近所の公園に差し掛かったところで、珊瑚はベンチに寝ている人影に気付いた。
「わぁちゃん!チャンス!」
「え?え?何?」
「あそこのベンチで寝てるの、葉月じゃない?」
「え?あ… ホントだ… もう寒くなってくるよ?」
「声、かけといでよ。私ココで待ってるから。」
「え?さぁちゃん?」
「ほら、早く!」
和奏を公園の中に押し込むと自分は入り口の死角になる場所に身を潜める。和奏はドキドキする胸を押さえて珪に近づいていった。
「葉月くん?」
ぱちりと目を開けた珪に、声をかけた和奏の方がびっくりして少し後ずさる。珪は何度か瞬きするとゆっくりと身体を起こした。
「……おまえか。」
「公園でお昼寝?もう遅いから、風邪引くよ?」
首を傾(かし)げて和奏がそう声を掛けると、珪はちょっとぼーっとした様子で視線を巡らせた。
「……遅い……。何時だ、今?」
「え〜と、今は……。」
時計を確かめて時間を告げると、珪は一瞬考え込んだ後、
「……またやった。」
と、片手で顔半分を隠してしかめっ面になった。一瞬不思議そうな顔をした和奏はふと思いついて聞いてみた。
「ねぇ……、もしかしてモデルのお仕事、遅刻しちゃったとか?」
「いや、遅刻っていうより……もうみんな帰っただろ、さすがに。」
「『さすがに』って!きっと、電話にメッセージとか入ってるよ!」
「そうだな……。」
「…………?」
さらにびっくりしてあたふたと言ってみるが、珪の反応は鈍いもの。また不思議そうな顔で和奏が見ていると珪がぽつりと呟いた。
「静かな一日だと思ったんだ……。」
「???」
「電話、家に忘れた。」
とんでもない事実に和奏は慌てて自分の携帯を取り出して、珪に押しつける。
「えぇ!? じゃあ、わたしの電話で連絡を……。」
「あぁ、俺、向こうの番号知らない。」
「じゃ、じゃあ、どうしよう……。」
和奏の方が泣きそうな顔でおろおろしている。その様子を見てようやく珪は表情を緩める。
「どうしようもないな…… いいから、おまえは早く家に帰れ。」
和奏はそれでもまだ納得いかない様子で言葉を続けた。
「うん、でも……。」
「そんなに、心配するな。いつものことなんだ。」
「ホントに、大丈夫?」
「大丈夫、じゃないけど… 済んでしまったことは仕方ないだろ。」
「それはそうだけど…。」
「ほら、遅くなるだろ。」
「ぅん… じゃぁ…。」
「あぁ、起こしてくれてサンキュ。……じゃあ。」
珪はそういうと片手を上げた。和奏も軽く手を振って公園を後にした。
公園を出て振り返るともう珪の姿はなかった。なんとなく寂しいような気がして立ち止まっていると、肩を叩かれた。
「わぁちゃん?」
「きゃっ!あ… さぁちゃん…。」
「『あ、さぁちゃん…』って私のこと、忘れてたわけぇ?」
「あ、あは… そんなことないよ…。」
慌てて首を左右に振って否定するが怪しいものだ。しかし、珊瑚はそこには深く触れることなく、意味深な笑顔を貼り付けると和奏に言った。
「なぁにが、『特に、何も…』よ。いい雰囲気出してたじゃないさ♪」
「え?あ、あれは… だって…。」
「だって、何よ。」
「葉月くん、モデルのお仕事サボっちゃったって言うから…。」
「へ?あいつが?サボった?」
「うん… それも『いつものことだ』なんていうんだもの…。」
びっくりしちゃった、と言って笑顔に戻る和奏。珊瑚は頭を抱えたくなった。
(…………。『いつものこと』って……。ま、まぁ、うまく声をかけるチャンスになったってことで。)
そう思い直すと、家への道のりを急かした。
「電話かけろって言われてもなぁ…。」
携帯の画面に珪の番号を表示したまま、和奏はじっとその画面を睨(にら)み付けていた。別れ際に珊瑚に念押しをされていたのだが、やはり改めて電話をするとなると躊躇(ちゅうちょ)してしまう。
「電話しなかったらしなかったで怒られるんだろうしなぁ…。」
とにかく深呼吸を一つしてそっと通話ボタンを押した。
「……はい。」
「あ、葉月くん?如月 和奏だけど。」
「……ん?」
和奏はもう一つ息を吸い込むと、今までシミュレートした言葉を無難に述べていく。
「今日、大丈夫だった?」
「………何が?」
「えっと、あの、お仕事…。」
「あぁ… まぁ、なんとか。」
「そか、よかった。」
ここまではまぁなんとかなった、しかし、次の言葉が出てこない。
「え、えっと…。」
「………?」
「………。」
(ど、どうしよう……。)
焦れば焦るほど言葉は出なくなる。この間(ま)が嫌なのだ、電話は。特に珪相手では話題を振ってくれるはずもなく。しばらくの無言の後、電話の向こうでふっと笑う気配がした。
「…お前 …ヘンなヤツ。」
「え?ど、どうして?」
「電話、かけてきたくせに…。」
「ご、ごめんなさいっ…。」
「……?」
(さぁちゃんのバカバカ!嫌われちゃったじゃない〜…。)
なんだか自分が情けなくなってきた。やっぱり電話するんじゃなかったと涙ぐんでさえくる。が、電話の向こうから穏やかな珪の声が聞こえた。
「……如月。」
「な、なに?」
珪の落ち着いた声で名前を呼ばれるだけで、焦りが静まっていく気がする。ちょっと不思議に思いながら電話に耳を傾けた。
「……サンキュ。心配…してくれたんだろ?」
「あ… うん…。」
「お前の声聞いたら、なんか安心した。」
「え?あ… ありがと…。」
「…じゃあ、また。」
「うん、またね。おやすみなさい。」
「…おやすみ。」
ツーツーと電話が切れた音が聞こえている。和奏は拍子抜けした感じで電話を見つめるとボタンを押して通話を切った。と、徐々に嬉しさがこみあげてくる。
(葉月くん、わたしの声聞いて安心したって言ってくれた♪)
先ほどまでの不安はどこへやら。踊り出しそうな勢いでベッドにダイブして電話を抱きしめる。
「それにしても今日は色々あったなぁ…。」
珊瑚のこと、まどかのこと、珪のこと… 色々と考えている内にいつしか眠りに就いていた。